
ペーパーマガジン『ごろねこ』は64号を最後に作っていない。もう7年半も作っていないことになるが、手作り作業をする気力がないので、多分もう作ることはないだろう。じつは65号に予定していたのは「好きな短編まんが100」という企画だった。そのとき、作品を選びかけていたメモが出てきた。途中なので、1955年から1982年に発表された50人の作家の50作品しか選んでいない。「100」では多すぎると思って「50」に変更したのかも知れないが、忘れてしまった。そこで、時々この企画を書いていこうと思う。短編まんがとは、およそ100ページ以内の作品を目安としている。70年前後には、わりと100ページ読切まんがというのが多かったからである。
今回は、あすなひろしの『300,000km./sec.』。「CОM」1968年1月号に掲載された。この作品については、『ごろねこ』1号で考察したことがあったので、それを要約して載せておこう。1号の刊行はなんと22年前であった。
1933年のドイツ。研究者のヨハンは、恋人のイルゼと別れ、レーマン博士と共に地下要塞でロケット爆弾の研究に従事する。博士は世界を破滅に導くほどの新エネルギーを発見したが、軍部に隠していた。だが、軍部の追及は厳しく、博士は宇宙に脱出する準備を密かに進める。翌年、脱出用のロケットが完成したとき、ヨハンのミスからイルゼが要塞を訪ねてくる。一緒に逃げようとするが、妊娠していたイルゼを残して、ロケットは宇宙へと発射してしまう。その直後に博士は死に、ヨハンを乗せたロケットは軌道を逸れて宇宙をさまよう。そして34年。ようやく地球への軌道へ戻ったが、すでに燃料はない。ヨハンは目標を昔イルゼと住んでいた地点に定め、最後の燃料を使い切る。ロケットは光速へと加速する。生前、レーマン博士は、物質は光速に耐えきれず光の粒子となるから決して光速にはするな、と忠告していた。それなら、せめて光となった自分をイルゼに見てほしいとヨハンは思う。あるいは光速を超えて時が戻るものなら、昔に戻りたいと願う。その頃、年老いたイルゼが揺り椅子に腰かけて見えない目で空を眺めていた。ロケットが発射したときの事故で視力を失ったのだ。瞬間、イルゼの体が光に包まれる。駆け寄ってくる息子夫婦と孫。「すごくまぶしい光が母さんを包んだよ」「青い光でしたわ、大きなロケットぐらいの……」
『300,000km./sec.』は、レイ・ブラッドベリの『刺青の男』内の短編『万華鏡』をヒントにしたと思われる。実際、あすなひろしは『刺青の男』を読んだと言及している。
『万華鏡』のストーリーは次の通り。宇宙船の破裂事故により乗員たちは宇宙空間に投げ出される。四方八方に散りながら乗員たちは無線で会話を続ける。地球に向かって落ちていくホリスは、自分がいかにつまらない人生を送ってきたかを痛感する。その頃、田舎の道で少年が空に流れ星を見つける。母親は少年に「願いごとをおっしゃい」と言う。
つまり、空虚な人生を送った男が少年の願いをかける流れ星になることで報われるという短編である。この小説は1951年に発表され、日本で翻訳が出たのはハヤカワ書房から60年頃のことである。あらすじだけでは『300,000km./sec.』とはまったく関係がないように思われる。
この短編をヒントに石森章太郎(後に石ノ森章太郎)が『サイボーグ009』(地下帝国ヨミ編)の最終回(「週刊少年マガジン」67年13号)を描いている。黒い幽霊団の魔神像を破壊した009は宇宙空間に投げ出される。助けにきた002と抱き合いながら二人は大気圏に突入していく。その頃、流れ星を見た姉弟(姉妹?)が願いをかける。姉は言う。「あたしはね、世界に戦争がなくなりますように……、世界中の人がなかよく平和に暮らせますようにって……、祈ったわ」。
平和のために闘ってきたサイボーグ戦士が、平和の願いをかける流れ星となって死んでいく。もちろん石森自身が『万華鏡』をヒントにしたとは言っていないが、長編の締め括りにふさわしいシーンとして見事に活かされていると思う。『サイボーグ009』はこの後何度も甦るのだが、私としてはこの「マガジン」版で完結してもよかったのではないかと思う。
また、坂口尚に『流れ星』という作品がある(1979年刊行「SFマンガ大全集PART3・別冊奇想天外№8」初出)。
おばあちゃんは星の出ている晩はいつも揺り椅子に腰かけ、空を眺めている。おばあちゃんの夫はロケットのテスト・パイロット。地球に帰還するときはいつも減速の噴射を小刻みに光らせ、「ただいま」という合図を送っていた。だが、35年前に光子ロケット・ノバのテストに飛び立ったまま、帰らなかった。ある夜、おばあちゃんは急報を受けて息子の車で宇宙センターへ向かう。宇宙を漂流していたノバが地球に帰還したと、宇宙センターから連絡があったのだ。だが、夫は言う。妻とは過去と未来に隔てられてしまった、と。光速に近いスピードで飛んでいたノバの船内は、時間は半年しか経っていないのだ。そして、管制塔の指示を無視してノバは加速を始め、大気圏に突入する。その頃、途中の道で車を降りたおばあちゃんは夜空を見上げる。合図の点滅が光り、星が流れていく。「お帰りなさい、あなた」。おばあちゃんは呟く。「あの人……、時間を止めたの……」。
『流れ星』もまた『万華鏡』と同じ構図をもっていることがわかるが、同時に異なる部分も多い。流れ星になるのは人ではなくロケット、地上で眺めているのは見知らぬ他人ではなく妻、星に願いをかけるのではなく星からの合図を受け取る。そして、この異なる部分は『300,000km./sec.』と共通している。さらに、35年の時を隔てて宇宙から帰還する夫。揺り椅子に腰かけて空を見上げて待つ妻。夫がいなくなってから生まれた息子には妻や子がいる、といったことまで共通している。
もちろん、坂口尚は『万華鏡』を読んでいただろうが、『300,000km./sec.』も読んでいて、その影響を受けたのだと思う。というのは、坂口尚は1963年から4年ほど虫プロに勤務し、虫プロ商事刊行の「CОM」69年9月号でまんが家デビューしている。『300,000km./sec.』が「CОM」に掲載されたとき(67年12月発売)、坂口尚がまだ虫プロの社員だったかどうかはわからないが、虫プロ界隈にいて自分のデビュー作を発表する「CОM」を読んでいないわけがない。
あすなの『300,000km./sec.』はブラッドベリの『万華鏡』をヒントにしたと書いたが、『万華鏡』の肝心のモチーフである「地球の大気圏に突入して流れ星になるのを、地上で見る」という要素は存在しない。ヨハンは時が戻ることを願いながら、光速を超えて青い光になってしまうが、流れ星にはならない。また、光はイルゼを包むが、盲目のイルゼにその光は見えない。両作に共通点はなく、ヒントにしたというのは、あすなが『万華鏡』を読んだという情報からの憶測にすぎない。だが、坂口尚は確実にその両作を読んでいる。そしてあすな作品の要素を取り入れながら、「地球の大気圏に突入して流れ星になるのを、地上で見る」というドラマに戻した。つまり『流れ星』を介することによって、『300,000km./sec.』が『万華鏡』をヒントにしていたと浮かび上がるのである。