ごろねこ倶楽部BOARD 134657


ごろねこの本棚【10】(1)

1:ごろねこ :

2020/01/28 (Tue) 22:06:41

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580216801.png 『黄金バット/なぞの巻・地底の国』(永松健夫)
桃源社・1975年5月10日刊・B6判
『黄金バット/天空の魔城・彗星ロケット』(永松健夫)
桃源社・1975年5月20日刊・B6判

加太こうじの解説によると、1930(昭和5)年に紙芝居の画家にアルバイト学生として採用された永松健夫(当時は本名の永松武雄)は田中二郎台本の『黒バット』などを描いていた。悪人が主役の『黒バット』を終わらせるために、正義の味方の黄金バットを生み出し、黒バットを倒したが、その黄金バットが人気になり、鈴木一郎台本で『黄金バット』という紙芝居を描き、一世を風靡することになる。永松が学校を卒業して就職し紙芝居を描かなくなると、加太こうじと菊池広雲が鈴木台本の『黄金バット』を受け継いで描いたという。都筑道夫の解説によると、『黄金バット』には贋作がたくさんあり、当時都筑が見た作品は永松版や加太版ではなかったかも知れないと述べている。もっとも同じ作品でも、紙芝居屋の語りによって説明やキャラクターの名称は異なることもある。戦後になって紙芝居が復活すると、永松も加太も『黄金バット』を描き出すが、両者はスタイルや設定に違いがあったという。戦時中、小学館で永松の同僚だった平木忠夫が明々社という出版社を起こし、永松の『黄金バット』を単行本として刊行したいと願い、初めてまんが(まんがと絵物語の中間のようなジャンル)として描かれ、大ヒットとなった。これはその復刻版である。
2:ごろねこ :

2020/01/29 (Wed) 22:12:17

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580303537.png 『黄金バット(上・下)』(永松健夫)
少年画報社・1978年1月1日刊・四六判

明々社は永松の『黄金バット』を、第1巻「なぞの巻」(1947年11月)、第2巻「地底の国」(48年1月)、第3巻「天空の魔城」(48年4月)、第4巻「彗星ロケット」(49年3月)と刊行した。また、48年8月に創刊した「冒険活劇文庫」では、49年12月号まで13回にわたって、黄金バット誕生編ともいうべき「アラブの宝冠」が連載され、50年1月号から5月号まで「科学魔篇」が連載されたが未完で終わった。ちなみに「冒険活劇文庫」は50年4月号から「少年画報」と改題され、明々社も少年画報社と改名した。また、後に52年8月号から53年8月号まで『新黄金バット』が連載された。
桃源社版は、単行本の全4巻と「科学魔篇」を復刻している。単行本の話は色インク1色の復刻なので読みにくく、「科学魔篇」は絵物語形式でB5判に連載されたものをそのままB6判に縮小しているので、これまた極めて読みにくい。
この少年画報社の復刻本は2色ページも多く読みやすいが、上下巻で単行本の3巻までしか復刻していないのが残念である。
3:ごろねこ :

2020/01/30 (Thu) 22:07:03

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580389623.png 『小説 黄金バット』(加太こうじ)
筑摩書房・1990年8月30日刊・四六判

本来、『黄金バット』の紙芝居台本は鈴木一郎(本名・鈴木平太朗)という人物が書いていたが、戦後は永松健夫も加太こうじも独自の設定で描いており、この二人が『黄金バット』の作者として名が残っている。永松版は上記のように復刻版が出た。加太こうじ作・絵の『黄金バット』の絵物語の単行本もあるらしいが、復刻版は出ていない。永松版とは違うヴィジュアルなので紹介したいが、絵物語の詳細は不明である。「アサヒグラフ別冊/紙芝居集成」(1995年)に加太の紙芝居版『黄金バット』の一部が載っている。それによると、「ナゾ-編」「怪タンク出現」「怪獣編」がある。その書影では黄金バットの絵が小さいので、ここでは「ナゾ-編」の一葉を表紙にした『小説 黄金バット』を挙げておく。といっても、この本は黄金バットを主役にしたヒーロー小説ではなく、「黄金バット」を生み出した紙芝居屋の周辺を描いた群像ドラマであり、しかも実録ではなく、加太の創作である。それにしてもこの黄金バットは、眼といい歯といい、最強のスーパーヒーローに見えないのだが……。
4:ごろねこ :

2020/01/31 (Fri) 22:05:45

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580475945.png 『少年コミックス/黄金バット特集号』(一峰大二)
少年画報社・1967年7月15日刊・B5判

さて、紙芝居も絵物語も過去のものになり、そのヒーローも忘れさられようとしていた頃、『黄金バット』は復活した。1966年12月に実写映画が公開され、67年4月からはTVアニメが放送されたのである。それに合わせて、まんが版『黄金バット』も描かれる。まず映画公開に合わせて「週刊少年キング」に66年12月から1年間、次にTVアニメ放送に合わせて「少年画報」に67年4月から1年間、それぞれ連載された。共に「永松健夫・原作、加太こうじ・監修」となっているのは、永松はすでに1961(昭和36)年に死去していたからだろうか。キャラもストーリーも加太版をベースにしているようだ。
「週刊少年キング」の連載は一峰大二が作画を担当している。「少年コミックス」は「少年キング」「少年画報」に掲載のまんがの総集編を載せる雑誌で、年四回の刊行だが、あまり続かなかったように思う。他に「マグマ大使特集号」などがあった。
5:ごろねこ :

2020/02/01 (Sat) 22:09:38

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580562578.png 『黄金バット(1)(2)』(作・加太こうじ、画・一峰大二)
大都社・共に1990年9月20日刊・B6判

「少年コミックス」版では、次のように章が立てられている。
①黄金バット誕生(29頁)、②四つ目の怪球(25頁)、③バキュアム(67頁)、④怪獣アドド(86頁)
大都社版の第1巻は、次の通り。
①黄金バット復活の巻(54頁)、②バキュアムの巻(67頁)、③ビッグ・アイの巻(94頁)、④物体X・アドドの巻(85頁)、⑤青い炎の国の巻(前編)(72頁)
大都社版が雑誌連載順かどうかは不明だが、もしそうであるなら、「少年コミックス」版の①と②を1章「黄金バット復活の巻」とし、3章「ビッグ・アイの巻」を復活させ、4章「物体X・アドドの巻」は1頁カットしていることがわかる。
一峰といえば、古くは『ナショナルキッド』『七色仮面』から『ウルトラマン』シリーズや『電人ザボーガー』『スペクトルマン』など、映像ヒーローものをまんが化する第一人者といえる。永松版をリアルタイムで読んでいない私には、永松版の黄金バットのスタイルやストーリーの異世界感よりは一峰版のほうがしっくりくる。
6:ごろねこ :

2020/02/02 (Sun) 22:07:07

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580715694.png 『黄金バット(上・下)』(智プロ・井上智)
アップルBOXクリエート・2006年12月15日刊・A5判(函入り)

アニメ版の『黄金バット』は見ていなかったが、資料から見る限り井上版のほうがアニメ版に近い。井上智は、1958年から59年にかけて中村書店の「ナカムラマンガシリーズ」から『黄金バット』を3冊刊行したこともあった。一峰大二と同じく映像ヒーローもののまんが化作品も多く、『魔神バンダー』『ウルトラマン』『マグマ大使』などを手がけていた。『マグマ大使』にいたっては、手塚に頼まれて「サイクロップスの巻」を代筆したほどである。また、アップルBOXクリエートで(同人誌的に)復刻されるまで単行本化されなかった理由は不明だが、当時、「少年画報」の別冊付録まんがは「少画コミックス」という1冊の別冊にまとめられており、4段が基本になるB5判本誌より、1段少ない3段分のほぼ正方形の判型だった。単行本にするときは、そこを編集しなければならないことが障害になっていたのかも知れない。アップル本では、何の編集もなく、本誌の4段と別冊付録の3段を混在したまま収録している。なお、上巻には短編『土俵の友情』『エレベーターの怪事件』、下巻には『魔神ゴルゴン』を併録。
7:ごろねこ :

2020/02/03 (Mon) 22:08:13

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580735293.png 『怪盗黄金バット』(手塚治虫)
東光堂・1947年12月20日刊・B6判(函入り)

画像は、名著刊行会で復刻した「手塚治虫初期名作漫画館」(1980年刊)のもの。
これは永松・加太の『黄金バット』とは何の関係もない。著作権に無頓着だった時代、ヒット作の贋作・模倣作は当たり前だった。1946年に『マアチャンの日記帳』でデビューした手塚治虫は翌47年『新宝島』というヒット作を出すが、同じ年に『キングコング』やこの作品も出していた。タイトルといい髑髏の顔といい明らかに『黄金バット』をパクっているが、超人ではなく、人間がマスクをつけて扮装している怪盗である。しかもストーリー上、この怪盗が黄金バットである必要はまったくない。出版社か手塚自身の意向かわからないが、47年11月に刊行して大ヒットとなった永松版『黄金バット(なぞの巻)』の人気に便乗しようとしたのかも知れない。予め出来ていた作品に、急遽黄金バットのキャラを組み込んだか、作品自体を急遽描いたものなのかもわからないが、本家の大ヒットを確認した上で翌月に刊行できたとしたら、それはやはり手塚の才能なくしては考えられないだろう。
8:ごろねこ :

2020/02/04 (Tue) 22:21:06

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580822466.png 『黄金魔人』(永松健夫)
我刊我書房・2017年1月11日刊・A5判

永松健夫は何といってもSFの『黄金バット』で、他は「冒険王」に連載した柔道絵物語『花も嵐も』が代表作だと思うが、その他の作品はあまり知られていない。3年前に初復刻された『黄金魔人』も私はまったく知らなかった。この本にはスーパーヒーローもの3編が収録されている。『黄金魔人』は「譚海」1952年9月から53年10月号まで連載。黄金魔人の正体は誰か、という懸賞があったらしい。『超人・黄金ナイト』は「おもしろブック」54年9月号掲載の読み切り作。敵の大だこ型ロケットが斬新だ。両者とも「黄金」と付くのは、やはり『黄金バット』の影響で編集部から要求されるのだろうか。『爆弾Z』は「譚海」52年5月号から8月号まで連載。主人公の爆弾Zという少年ヒーローは原子調節器を使って体を自由に大きくしたり小さくしたりできる。70年近く前に、すでにアントマンと同じ能力のヒーローがいたわけである。
9:ごろねこ :

2020/02/05 (Wed) 22:12:18

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580908338.png 『デン助(5)』(白吉辰三)
トモブック社・1958年10月25日刊・B6判
『デン助(7)』(鈴木忠三)
トモブック社・1959年1月15日刊・B6判

デン助は、大宮敏充(旧・敏光)の役名。戦前から劇団を旗揚げして公演していたが、戦後の46年に「デン助劇団」を結成し、浅草松竹演芸場を拠点に公演し、人気を博す。58年から59年にかけてはデン助を主役とした映画が何本もつくられ、「別冊付録・メディアミックス編」で紹介した『デン助の陽気な靴みがき』(とりうみやすと)、『デン助の拳闘王』(平川やすし)など、多くまんが化されている。また59年4月からは『デン助のお巡りさん』がTVで始まり、9月からは『デン助劇場』となって72年まで続いた。トモブック版『デン助』はTV番組が放送する前から刊行されており、その人気のほどがわかるだろう。『デン助劇場』は放送枠の異動は多少あったが、土曜日の午後1時頃から40分枠で、演芸というより下町人情喜劇の舞台を公開収録している番組だったと思う。当時(とくに60年代中頃)、私は学校から帰宅して昼食を食べながら(土曜日は学校の授業が半ドン〔=午前だけ〕だった)この番組を見ていた。
10:ごろねこ :

2020/02/06 (Thu) 22:24:24

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1580995464.png 『ガラス玉』(岡田史子)
朝日ソノラマ・1976年2月29日刊・新書判

岡田史子の最初に世に知られた作品は、「COM」1967年2月号の投稿欄に縮小掲載された『太陽と骸骨のような少年』である。64年に白土三平の『カムイ伝』を発表する場として長井勝一が創刊した「ガロ」に対抗して、手塚治虫が「鉄腕アトムクラブ」を発展的解消させて作った雑誌が「COM」である。「ガロ」においては新人発掘は窮余の策だったが、「COM」ではそれも目的化していた。一番は『カムイ伝』に対抗する『火の鳥』の発表にあったのだろうが、創刊2号目に岡田史子が登場したことで、「COM」の新人登竜門としての性格は早くも決定づけられたといえるだろう。当時、60年代半ばには、「ガロ」はもちろん、終焉に向かう貸本誌や成長していく青年誌にまんがの新たな兆しが様々に芽吹いていた。それらは60年代後半から70年代にかけて、色とりどりに花を咲かせていくことになる。その中に、西洋文学の詩情と哲学の匂いを含んだ岡田作品もあった。それは多くの亜流を生みそうな浅学で軽薄な作品のようにも見えたが、亜流が生まれることはなく、唯一無二の岡田の才能だった。『太陽と骸骨のような少年』は「ガロ」からは突き返されたそうなので、「COM」との相性もよかったのだろう。なお、『ガラス玉』は月例の入選作として68年1月号に掲載され、同時に「COM」新人賞も獲得した作品である。
11:ごろねこ :

2020/02/07 (Fri) 22:24:25

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581139745.png 『ほんのすこしの水』(岡田史子)
朝日ソノラマ・1978年5つき25日刊・新書判
『ダンス・パーティー』(岡田史子)
朝日ソノラマ・1979年4月25日刊・新書判

『ガラス玉』は次の10編が収録されている。1967年『太陽と骸骨のような少年』『ポーヴレト』『夏』/68年『ガラス玉』『サンルームのひるさがり』『ホリディ』『赤い蔓草Part1・Part2』/69年『ピグマリオン』『私の絵本』/70年『墓地へゆく道』
『ほんのすこしの水』は次の10編が収録されている。67年『天国の花』/68年『春のふしぎ』『いずみよいずみ』『胸をだき首をかしげるヘルマプロディトス』/69年『ほんのすこしの水PartⅠ気のどくな乞食・PartⅡ月の女』『イマジネイション』『夢の中の宮殿』『死んでしまった手首-阿修羅王-前編・後篇』/70年『トッコ・さみしい心』『いとしのアンジェリカ』
『ホリディ』は岡田が所属していた同人誌「アイ」、『イマジネイション』は「COM」の姉妹誌「ファニー」に掲載されたが、他の作品はすべて「COM」に発表された作品である。これですべてではないが、「COM」へは67年から70年までの4年間に25編発表しており、これは岡田全作品のうち半分以上となる。このとき岡田は17歳から21歳であり、決して侮るわけではないが、これらの文学的達成は奇跡としかいいようがない。おそらくは読書などの着眼も吸収も効率的に行うことができ、自分なりに理解できる勘の良さでまんがという形式に再生できる能力に長けていたのだろう。
『ダンス・パーティー』は次の5編の収録である。
70年『無題』/78年『ダンス・パーティー』『柳の木の下で』『アンニ-おばさんの砂金ちゃん』/79年『家出前夜』
『無題』は「COM」に最後に掲載された作品。『ダンス・パーティー』『アンニーおばさん…』は「少女コミック増刊」、他の2編は「マンガ少年」に載ったものである。
12:ごろねこ :

2020/02/08 (Sat) 22:15:11

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581167711.png 『岡田史子作品集 1・赤い蔓草/2・ほんのすこしの水』(岡田史子)
NTT出版・1992年11月30日刊・B6判

この作品集は、1巻は67年『太陽と骸骨のような少年』から69年『夢の中の宮殿』までの16編、2巻は69年『ピグマリオン』から70年の『無題』までの13編を、それぞれ発表順に収録している。ただ『愛の神話』という「ファニー」に10回にわたって連載された見開き2ページのギリシャ神話の文とイラストで構成された作品は2巻の末尾に収録されている。これらが、この4年間に発表されたすべての作品である。朝日ソノラマの3冊に収録されていない作品は、1巻は67年『フライハイトと白い骨』/68年『赤と青』/69年『ワーレンカ』、2巻は69年『邪悪のジャック』『死んでしまったルシィ』『愛の神話』/70年『黒猫』である。
この4年間の岡田作品からは眩しいほどの才能を感じる。私は物語性のある『赤い蔓草』も、絵に特化した『サンルームのひるさがり』も、哲学的な『夢の中の宮殿』も、詩的な『墓地へゆく道』も、すべてが好きだった。71年には心中事件を起こして作品は途切れてしまうが、その後、朝日ソノラマの『ダンス・パーティー』に収録されたようなドラマを語る作品は何か違うような気がし、わけのわからない作品は本当にわけがわからなくなっていた。逆に、71年以降の作品を収録した唯一の単行本『ダンス・パーティー』は貴重だが、私としては岡田作品を読むならこのNTT出版の作品集を薦めたい。
13:ごろねこ :

2020/02/09 (Sun) 22:22:41

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581254561.png 『ODESSEY1966~2003岡田史子作品集episode1ガラス玉』(岡田史子)
飛鳥新社・2003年6月30日刊・A5判
『ODESSEY1966~2003岡田史子作品集episode2ピグマリオン』(岡田史子)
飛鳥新社・2004年3月30日刊・A5判

じつはNTT出版版とこの作品集の間(1999年)にまんだらけ出版から『限定版・岡田史子未発表作品集1966~1988』という本が刊行されている。限定200部で、署名や肉筆イラストを使った豪華本だったが、私は諸事情で(笑)購入しなかった。同人誌時代に描いた作品や「COM」に載せる予定の作品、未完成の作品などが収録されているらしい。
その中の何作かは、この飛鳥新社版に収録されている。「ガラス玉」には既出12編に、66年『黄色のジャン・川辺のポエム』/70年『オルペとユリデ』の2編、「ピグマリオン」には既出8編に、66年『耳なしホッホ』『火陥ーひがもえる』『火焔』『kaen』/70年『海の底の日よう日』(イラスト)の5編である。さらに、この本の監修者・青島広志は岡田と交友があり、そのスケッチブックに残したイラスト(落書き)も何点か収められている。また、岡田自身が語る「自分史」もファンなら必読。
14:ごろねこ :

2020/02/10 (Mon) 22:10:26

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581340226.png 『ODESSEY1966~2003岡田史子作品集episode1ガラス玉 増補新装版』(岡田史子)
復刊ドットコム・2017年12月15日刊・A5判
『ODESSEY1966~2003岡田史子作品集episode2ピグマリオン 増補新装版』(岡田史子)
復刊ドットコム・2018年1月19日刊・A5判

飛鳥新社版の復刻だが、増補新装版になっている。
1巻に追加されたのは『みず色の人形』『愛しすぎた男』の2編。2巻は『ブランコ』『岡田史子の匣』の2編。これらも『未発表作品集』に入っていた作品のようだ。他に、青島広志所蔵のカラーイラストが各巻2枚ずつ追加されている。それにしても、71年以降の作品は『ダンス・パーティー』以外、まったく単行本化されていないのはもったいない。単行本未収録の作品が載っている「SFマンが競作大全集」や「夢の博物誌」など購入したものもあるが、全部読んだわけではない。単行本未収録作品をすべて集めても、おそらく1冊にまとまるだろうから、どこかで刊行してくれないものだろうか。
15:ごろねこ :

2020/02/11 (Tue) 22:28:11

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581427691.png 『のろいの館』(楳図かずお)
秋田書店・1969年9月5日刊・新書判
『赤んぼ少女』(楳図かずお)
小学館・2008年8月4日刊・四六判

楳図かずおの少女ホラーで私が一番印象に残ったと思うのは『赤んぼ少女』である。楳図作品では蛇を代表として蜘蛛や化け猫やミイラなどが恐怖の対象になっていたが、それは理解できる。だが、「赤んぼ少女」は「赤んぼ」であり「少女」である。普通は恐怖の対象ではない。これは、赤ん坊のまま成長が止まったタマミという少女のことで、タマミに襲われる美少女の葉子の恐怖が描かれる。だが、一方でタマミの哀れな身の上も気にかかる。鏡に映る我が身や、男友達と語らう葉子を見て涙するタマミは、単なる化け物ではない。タマミが葉子に「ほんとうはおまえがわたしをいじめていたのよ」と言う言葉は、誰でも陰を持つ人なら共感できるのではないかと思う。「少女フレンド」に1967年に連載された『赤んぼ少女』は、最初に佐藤プロから貸本シリーズで単行本化された。そのときに、タマミが死に際に母親に告げる「タマミは悪い子でした。この家の子でもないのにひどいことばかりして……でも、でもあなたはタマミのただひとりのおかあさん……」という言葉が、「タマミは悪い子でした。心で思っていてもいつのまにか悪いことばかりするのです。葉子さんにひどいことばかりしたけど、ばちがあたったのです」と改変され、タマミの屈折した心情がよくわかるようになっている。
なお、秋田書店版では『のろいの館』とタイトルも改められているが、「赤んぼ少女」ではやはりホラー味が薄いからだろうか。併録は『怪談』。小学館は「UMEZU PERFECTION!」というシリーズの1冊で、扉絵の構成やネーム(セリフ)などを連載時の形に戻し、カラーページを新たに加えている。
16:ごろねこ :

2020/02/12 (Wed) 22:10:02

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581513002.png 『赤んぼ少女』(楳図かずお)
講談社・2011年3月11日刊・文庫判
『半魚人』(楳図かずお)
講談社・2010年10月8日刊・文庫判

この文庫本のシリーズは「楳図かずお画業55th記念」の「少女フレンド・少年マガジン・オリジナル作品集」で全8巻。「なかよし」の作品も含んでいるが、毎週の扉絵、広告、予告、コピーなど、初出通りに復刻している。「UMEZU PERFECTION!」の『赤んぼ少女』も扉絵などは復刻しているが、こちらはタイトル・ロゴや煽りのコピーまで復刻している。
じつは、秋田書店版の『のろいの館』で「〔赤んぼう少女〕より」と注記してあり、カバー見返しの作者の言葉でも『赤んぼう少女』と書いてあった。さらに角川ホラー文庫版のタイトルも『赤んぼう少女』である。連載時は『赤んぼ少女』でなく『赤んぼう少女』だったのかと疑っていたが、扉絵のロゴまで復刻した本書によって、最初から『赤んぼ少女』が正しいことが証明された。作品集7『赤んぼ少女』は、他に『死者の行進』『まぼろしの蝶』『ねむり少女』が収録されている。
さて、少年ホラーでは、楳図かずおが「週刊少年マガジン」に初登場した『半魚人』が印象深い。作品集2『半魚人』は、他に『紅グモ』が収録されている。
17:ごろねこ :

2020/02/13 (Thu) 22:14:44

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581599684.png 『半魚人』(楳図かずお)
朝日ソノラマ(サン・コミックス)・1971年2月5日刊・新書判
『半魚人』(楳図かずお)
朝日ソノラマ(ハロウィン少女コミック館)・1991年7月20日刊・新書判
 
サンコミ版は「楳図かずお秀作選」(全3巻)の第3巻。単行本としては、これが初。ハロウィン版は「シリーズこわい本」(全15巻+1巻)の第15巻。併録はどちらも『ひびわれ人間』『恐怖の首なし人間』。表紙の半魚人の顔は、明らかにサン・コミのほうがいい。
『半魚人』は1965年の「週刊少年マガジン」に6回にわたって連載されたが、翌年の夏に「別冊少年マガジン」に前後編にまとめられ、再録された。そのときに6ページが増補改訂され、以後、その改訂版が定本になり、前回のオリジナル版作品集以外は、すべてその改訂版になっている。『半魚人』の怖さは、一つには理由もわからず自分が(もしくは身近な者が)モンスターになっていくという怖さだが、それよりも人体改造ホラーを前面に出した点にあると思う。美少年が、口を裂かれ目を抉られ、次第に半魚人に改造されていくという怖さである。少年まんがでは、このジャンルのホラー作品は初めてなのではないかと思う。
18:ごろねこ :

2020/02/14 (Fri) 22:15:00

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581686100.png 『半魚人』(楳図かずお)
講談社(PK-C)・1997年11月21日刊・新書判
『うろこの顔』(楳図かずお)
朝日ソノラマ(サン・ワイド・コミックス)・1986年6月20日刊・B6判

『うろこの顔』には、『半魚人』『恐怖の首なし人間』を収録。
初の単行本であるサンコミを見たときから、気になっていたことがあった。それは扉や目次などの「半魚人」というタイトルに「はんぎょにん」とルビがふってあったことだ。サンワイドもハロウィンも、朝日ソノラマの本はみなそうなっていたので、アメリカ映画『大アマゾンの半魚人』のときから「半魚人」は「はんぎょじん」の読みなのに、あえて「はんぎょにん」と読ませるのだろうかと疑問に思っていたのだ。だが、初出誌の出版元である講談社のPK-Cでは「はんぎょじん」とルビがふってあり、オリジナル版作品集でもすべての回の扉絵が「はんぎょじん」となっていることが確認できた。誰だ! 「はんぎょにん」などとバカなルビをふった編集者は。
19:ごろねこ :

2020/02/15 (Sat) 22:05:52

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581771952.png 『轟先生(第5集)』(秋好馨)
若木書房・1967年5月15日刊・B6判
『轟先生(第1集)』(秋好馨)
文陽社・1976年1月10日刊・B6判

前に『サザエさん』を紹介したが、じつは私は「朝日新聞」を購読したことがないので、実際に新聞に掲載された『サザエさん』を読んだことはなかった。では、何を読んでいたかというと、『轟先生』である。『轟先生』は1949年から読売新聞の夕刊に掲載され、51年からは朝刊に移動し、以後、中断をはさんで73年まで続いたそうである。「先生」というのは、学校(実力学園)の教諭なのだが、あまり教壇に立っているエピソードはない。科目も何の先生だかよくわからない。それどころか、登場人物が多くて、轟先生の出ないエピソードも多い。
単行本は、1950年に文陽社から第1巻が刊行され、1巻から14巻まではB横判、15巻以降はA5判のハードカバーで28巻ぐらいまで刊行された。まだ連載中に文陽社の刊行は中断していたが、67年に若木書房から新たに第1集から刊行が始まった。ただし「あまり古いものは絵に不満があるので七、八年前の中からおもしろいものを選びました」とのこと。姉妹社の『サザエさん』と同じB6判で何集まで刊行されたかは不明だが、少なくとも67年中に第10集までは出ている。その後、「読売新聞」の連載も終了した76年に、文陽社からやはりB6判で第1集から復刊された。『轟先生』は「読売新聞」以前に、近藤日出造主宰の「漫画」や「家の光」にページまんがとして連載していたので、この復刊第1集の半分ぐらいは4コマまんがではなく、ページまんがの『轟先生』である。復刊版はオリジナル版とは構成が違うが第6集まで刊行されたようだ。
20:ごろねこ :

2020/02/16 (Sun) 22:11:47

https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_859700/859618/full/859618_1581858707.png 『アワモリ君(2)』(秋好馨)
文陽社・刊行年月日不明・B判横変形

アワモリ君は轟先生の教え子で、実力学園の高校生。『轟先生』でも出番が多いが、「週刊読売」でスピンオフ作品として連載した。4コマまんがではなく基本9コマのページまんがである。『アワモリ君』のほうに轟先生もよく登場する。「アワモリ」というのは名のようだが、家が「アワモリ洋品店」なので姓だと思われる。名は不明だが、1961年に『アワモリ君売出す』『アワモリ君乾杯!』『アワモリ君西へ行く』と3本映画化され、映画では「アワモリ九(きゅう)」という名になっている。これはアワモリ君を演じたのが坂本九だったからだろう。ちなみに『轟先生』も47年に映画化されたり、55年から5年間TVドラマとして放送されたが、轟先生を演じたのは古川ロッパ(TVは途中で役者交代したらしい)であった。

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