(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

ごろねこの本棚【35】(1)

  • ごろねこ
  • 2023/11/27 (Mon) 19:46:59
『妖怪ハンター』(諸星大二郎)
集英社・1978年7月刊・新書判

諸星作品は「CОM」の月例新人入選作『ジュン子・恐喝』で初めて読んだが、リアルな人間ドラマで、絵はまんがや劇画というより写実的に描こうとする挿絵のようなタッチで、あまり読む気になれなかった。その前に第五席に入って表紙と本文1ページだけ掲載された『硬貨を入れてからボタンを押して下さい』は破滅した世界に生き残った男を描くSF設定の作品で、そちらのほうが面白そうだったが、タイトルから何となく内容が推測できてしまった。ずっと後に全ページが発表されたが、意外性はなかった。その後、「漫画アクション」に『不安の立像』などを発表したり、「ビッグコミック」で『女は世界を滅ぼす』が新人賞に佳作入選したりしていたことは、当時は知らず、諸星作品に再会したのは「週刊少年ジャンプ」で第7回手塚賞に入選した『生物都市』だった。これは絵もストーリーも見違えるほどよくなっており、さすがに手塚賞受賞作品だった。J.G.バラードの『結晶世界』をヒントにしたように私には思えたが、たとえそうだとしてもすばらしい作品であることに違いはない。ちなみに『生物都市』は、この『妖怪ハンター』に併録されている。
そして、諸星にとって初めての連載作品になったのが、「週刊少年ジャンプ」における『妖怪ハンター』だった。だが、第1話『黒い探求者』(1974年37号)、第2話『赤い唇』(同38号)、第3話『死人帰り』(同39~41号)と5週連載全3話で、このときはあっけなく終わってしまった。その後、1976年に「少年ジャンプ増刊8月号」に『生命の木』を発表し、さらに描き下ろしの『闇の中の仮面の顔』を追加して1978年に『妖怪ハンター』として刊行したのだった。このシリーズは、その後も続いて刊行されている。
主人公は「稗田礼二郎」。本書収録バージョンでは、「もとK大考古学教授。新進考古学者と注目をあびたが古墳についての新説で日本考古学会追放……」と大学教授を馘になり学会も追放されたと紹介されている。だが、後のバージョンでは「異様な事例や奇怪な題材にばかり手を出すので異端者扱いされて」「古墳についての新説で物議をかもした新進の考古学者」と、異端者ながら学会は追放されてはいない。この事件後にK大教授は辞すが、他大学の客員教授などを続けている。長髪・黒服姿で、全国の遺跡や伝承に関わる怪事件を追い、モノ(魔物・妖怪・物怪・精霊など)を研究している。作者が、史料を誦習し伝承したという『古事記』の稗田阿礼から名をとったように、礼二郎の役割はモノを探り、記録することである。ハントすることではない。「妖怪ハンター」というタイトルは当時の担当編集者が名付けたもので、諸星はこのタイトルが好きではなかったという。そこで「稗田礼二郎のフィ―ルド・ノートより」とか「稗田のモノ語り」とか別のシリーズ名をつけてもいるが、結局は「妖怪ハンター」の名が使われている。

ごろねこの本棚【35】(2)

  • ごろねこ
  • 2023/11/29 (Wed) 19:52:26
『ヒルコ/妖怪ハンター』(監督・塚本晋也、出演・沢田研二)
松竹・1991年5月公開・2021年Blu-ray発売

『妖怪ハンター』の第1話「黒い探求者」に第2話「赤い唇」の要素を加えて映画化した作品。昔、VHS時代にレンタルで見たことがあったが、夜や地下の場面が暗くて、かなり見づらかったという印象があった。このblu-rayで見ると、暗いシーンでもはっきりと見えるし、昼のシーンの田舎の風景も美しい。VHSで見たときより、倍は面白く感じた。
原作の「黒い探求者」は、比留子古墳を研究していた八部という郷土史家が石室で首なし死体で発見され、息子のまさおから頼まれた稗田がその謎を調査するという話。「赤い唇」は、地味で真面目な優等生の月島令子は中学で不良グループのいじめの対象だったが、ある日を境に派手な赤い唇の少女へと変貌し、彼女の周りでは次々と人が死んでいくという話。彼女は朱唇観音に封じられていた魔物に取り憑かれ、その唇から発せられた言葉には誰もが従わずにはいられなかったのだ。
映画は、八部は稗田の亡き妻の兄で中学教師をしている。息子のまさおはそこの中学生で、同級生の月島に密かに想いを寄せている。というように登場人物間に関係がある。原作の稗田は冷静で知的なキャラクターだが、映画では生真面目だがドジな性格で、そこが一番の違いである。また、妻を自分の過失で亡くしたと思って苦しんでいることが明かされるが、その苦しみを乗り越えることが映画のテーマに関わっているにせよ、原作の稗田から妻がいる雰囲気はまるで感じられないので、妻のエピソードは余計だと私には思えた。
異端の考古学者・稗田礼二郎は、亡き妻の兄で中学校教師の八部から、悪霊を鎮めるために作られたと思われる古墳を発見したと聞く。それは稗田の学説を立証する古墳であった。だが、八部は古墳を調査中に教え子の月島令子と共に行方不明となった。八部家を訪ねた稗田は、八部家が代々村を守る家柄であり、家に伝わる「冠」を八部が持ち出していたことを知る。八部の息子のまさおは二人の友人と共に行方不明の父と令子を探しに、夏休み中の学校に忍び込む。古墳は学校内のどこかにあるのだ。だが、令子は化物となっており、友人たちは殺されてしまう。まさおは稗田と合流し、稗田の妖怪退治の武器を手に、校内を探索する。
映画の中学校のシーンは、原作にはまったくないのだが、夏休みの夜、学校で化物と戦うというのは、数年後にブームとなる「学校の怪談」を先取りした感もあり、面白い。
稗田とまさおは八部のノートから、古墳の石室の奥へ続く入口の呪文のありかを知る。奥には無数の化物(ヒルコ)がいる虚無の空間が広がっていた。そして八部が開けてしまった入口からヒルコがこちらの世界に出ようとしていると考えた稗田は、八部が持ち出した「冠」を取り戻すため入口を開ける呪文を唱え、まさおと共にヒルコのいる空間へと入る。無数のヒルコが二人に襲いかかるが、ヒルコとなったはずの八部や令子、友人たちが盾になってくれた隙に呪文を唱え、手に入れた「冠」の力で撃退して、入口を封じるのだった。
この映画で最も注目されるのは、稗田礼二郎役の沢田研二だろう。塚本監督は、稗田役は岸田森以外にはあり得ないといわれていたが、すでに故人なので、誰からも文句の出ないキャスティングにした、と述べている。沢田はそれまでにコントやコメディも多くこなしていたが、映画では『太陽を盗んだ男』や『魔界転生』のイメージが強い。原作の稗田の雰囲気ならともかく、ドジな稗田を演じるのは意外だった。だが、沢田が出演したことで、この映画の魅力は確実に増していると思う。映画公開後に描かれた「妖怪ハンター」シリーズの『蟻地獄』で、稗田の講義を受けた女子大生たちが、「ねえ、稗田先生って沢田研二にちょっと似てない?」「え……どこが…?」と会話を交わしている。確かに「どこが?」なのだが。

ごろねこの本棚【35】(3)

  • ごろねこ
  • 2023/11/30 (Thu) 19:47:02
『海竜祭の夜-妖怪ハンター-』(諸星大二郎)
集英社・1988年7月刊・A5判
『稗田のモノ語り・魔障ケ岳・妖怪ハンター』(諸星大二郎)
講談社・2005年11月刊・A5判

『ヒルコ/妖怪ハンター』のエンドロールに「原作・海竜祭の夜」とある。これは、新書判の『妖怪ハンター』を刊行後に「週刊ヤングジャンプ」などに描いたシリーズ新作4編と合わせて、A5判で再刊行し、新作の1編「海竜祭の夜」を表題にしたためである。映画公開時に、原作の「黒い探求者」と「赤い唇」を読める新刊が『海竜祭の夜』だったのだ。ただし新書判に収録してあった「死人帰り」は、不満足なものなので収録しなかった、と諸星があとがきに記している。架空のものであれ、何らかの伝承や古書に寄せた展開をとれなかったことが不満だったのだろうか(「死人帰り」は文庫版の『妖怪ハンター』で復活している)。
新書判の『妖怪ハンター』は第1話「黒い探求者」の前に2ページ、第5話(発表順とは異なる)「死人帰り」の後に1ページ、作者と思われる人物が登場する枠組みのページを描き加え、『妖怪ハンター』という5話からなる物語を完結させていた。だが、その後もこのシリーズを描き続けたため、枠組みのページを削除して、「海竜祭の夜」を第1話とする再構成の「妖怪ハンター」シリーズが始まったわけである。この時点ですでに次作の「川上より来りて」は発表済みだったが、「出版社側の理由で(『海竜祭の夜』への収録を)断念せざるを得なかった」とあるので、その後もこのシリーズを描き続けることは織り込み済みだったのだろう。実際に第5話として配置された「生命の木」以降の数作は、次の『天孫降臨』収録作まで巻をまたいで「生命の木」に関する謎を追う連作となっている。「生命の木」(1976年)から「天孫降臨(91年)まで15年経っていることを思えば、このテーマへの作者の熱意が感じられる。2001年に刊行された「諸星大二郎自選短編集Ⅰ」の巻頭に「生命の木」を選んでいることからも、この作品を初期「妖怪ハンター」の代表作といっていいだろう。
2005年に再度「妖怪ハンター」が映画化されたとき、原作は『魔障ケ岳』の刊行時で、映画の宣伝の帯がついている。当時私は、こんな古い作品を映画化しないでもっと新しい作品を映画化すればいいのに、などと思ったが(じつは今でも思っているが)、「生命の木」を映画化するだけの、関係者の思い入れがあったのだろう。

ごろねこの本棚【35】(4)

  • ごろねこ
  • 2023/12/04 (Mon) 19:40:24
『奇談』(監督・小松隆志、出演・阿部寛)
ジェネオンエンタテインメント・2005年11月公開・2006年DVD発売

2005年に「生命の木」を映画化した『奇談』が公開された。稗田礼二郎役は阿部寛。『ヒルコ/妖怪ハンター』の沢田研二と比べると原作のキャラに近く知的でクールだが、長髪ではない。
原作は次の通り。東北の隠れキリシタンの里である渡戸村に伝わる聖書異伝に興味を持った男が、村を訪れる。教会へ行くと、村はずれの「はなれ」と呼ばれる集落から善次という男の死体が運び込まれていた。善次は磔になって殺されたらしい。村の住人の信仰は明治期にはカトリックに戻ったが、「はなれ」では独自の信仰へと変貌していた。男と神父が「はなれ」へ行くと住人たちは消えて、重太という老人が一人いるだけで、皆で善次を殺したと言う。驚く男たちの前に稗田が現れ、「はなれ」の異伝を説く。神は「あだん(アダム)」と「じゅすへる(ルシファー)」という二人の人間を作り、アダムは「知恵の木」の実を食べて楽園を追われ、じゅすへるは「生命の木」の実を食べて不死になり神に呪われて「いんへるの」に引き込まれたという。「はなれ」の住人たちはじゅすへるの子孫で、皆痴呆ではあるが死ぬことはなく代々どこかへ消えて行った。そのとき、善次の死体が教会から消えたと報せが来て、重太が逃げ出す。稗田たちが重太を追いかけて洞窟に入ると、「はなれ」の礼拝所らしき場所で、「三じゅわん(三人の聖ヨハネ)」が立っていた。彼らの足元には巨大な空間「いんへるの(地獄)」が広がり、その底には呪われた「じゅすへる」の無数の子孫たちが苦しみにうごめいていた。重太(ユダ)は三人に救いを請う。そのとき三日経って復活した「善次(ぜずす=イエス)」が現れ、「みんな、ぱらいそ(天国)さ、いくだ!」と叫ぶと、地下でうごめいていた人々は皆光となって天空に吸い込まれていった。
原作は、村に来る男(氏名不詳)と稗田の役割がカブってしまうところがある。31ページの短編なので仕方がないが、説明が多く展開が速い。映画では、村に来る男を女に変え、七歳の時村で神隠しに遭ったという設定になっている。
映画の舞台は1972年。民俗学専攻の大学院生・佐伯里美は渡戸村を訪れる。小学一年生のとき村の親戚に預けられていた里美は、友だちになった少年・新吉と共に神隠しに遭い、そのときの記憶を失っていた。断片的な夢に誘われて渡戸村へやって来たのだ。そこで村に伝わる聖書異伝を調査に来た考古学者・稗田と出会う。翌日、「はなれ」の住人・善次が磔の刑にあったような死体で発見される。里美と稗田は長老や寺の住職たちから話を聞き、昔から村では子供たちが神隠しに遭っていたことを知る。そして、16年前に里美と共に神隠しに遭った新吉が、当時の少年のままの姿で見つかる。
この神隠しにまつわる物語が追加され、謎めいた雰囲気とホラー的な演出が強くなっている。ただ、なぜ神隠しが起こるのか、なぜ女だけが帰還するのか、なぜ神隠し中は年を取らないのか、なぜ最後に皆帰って来たのか、一応の説明はあるが、はっきりとはわからない。原作にはない設定なので、やはり無理があるのかと思えてしまう。ラストのイエスの復活から昇天に至るシーンは、よくぞ原作に寄せて映像化したとは思った。

ごろねこの本棚【35】(5)

  • ごろねこ
  • 2023/12/10 (Sun) 19:49:48
『鮫肌男と桃尻女』(望月峯太郎)
講談社・1994年6月9日刊・B6判

望月峯太朗作品は、私の印象では最初の長編『バタアシ金魚』から『ドラゴンヘッド』まで、より高みを目指して荒々しく疾走している感があった。その疾走は『ドラゴンヘッド』でゴールを走り抜けた気がして、一区切りついた。その後、作者は新たなクルージングに出かけて、「望月ミネタロウ」と名を変えたりしながら作品を発表し、どこか遠くを目指しているのか、迷っているのかはわからないが、山本周五郎の小説を借りて『ちいさこべえ』という佳作も生み出している。『鮫肌男と桃尻女』は『ドラゴンヘッド』の直前に描いたバイオレンス作品で、連載当初は『大車輪』というタイトルだったらしい。
両親の死後、世話になった叔父の山のホテルで働く桃尻トシコは用事で郵便局へ行く途中、組織の金を持ち逃げして追われている鮫肌黒男という男を偶然にも助け、車に乗せる。それは運命的な出会いとなり、二人は互いに恋に落ち、体の関係を持つ。トシコは偏執的な叔父の許から離れ、組織の連中から逃げる鮫肌について行く決心をする。鮫肌を追うのは、幹部で元々鮫肌とは反りが合わない田抜、女幹部で鮫肌と愛憎関係にある蜜子、鮫肌を兄貴と慕っていた河豚田の三人と組員が十数人ほど。彼らの追撃をかわして、一度は東京まで逃げるが、山荘に置いてきた車を逃走資金に換えようと、二人は山へ戻る。だが、山では嫉妬に狂った叔父にトシコは襲われ、鮫肌も田抜たちに見つかる。死闘の末、辛うじて生き残った鮫肌の頭に銃を突きつける田抜、その田抜の頭に銃を向けるトシコ、だが田抜はもう片手でトシコの喉元にナイフを突きつける。動けなくなった三人のシーンに続き、山荘のガレージから車が出て行くシーンで終わる。
この車には生き延びた鮫肌とトシコが乗っているのか、それとも誰か別人が乗っているのか、そこを読者の想像に委ねている。おそらくひたすらバイオレンスな男女の逃避行を描くという作品なので、結末はどうでもいいのだろう。だが、こうしたラストにしたことで余韻は深くなった。
私が一番気になったのは、鮫肌の飼っているドーベルマンのジョン・ウーという犬のこと。鮫肌たちが山に戻って来たとき、車の中にいたジョン・ウーはトシコの叔父に猟銃で撃たれてしまう。その後、叔父はトシコの逆襲に遭い、傷を負って山中をさまようが、現れた血だらけのジョン・ウーに襲われる。叔父もジョン・ウーも死んだということなのだろうが、はっきり描かれていないのでもどかしい。ジョン・ウーは生きていて、ラスト・シーンのガレージから出て行く車の窓にでも姿が見えれば嬉しいのだが。でもそうすると鮫肌たちが生き延びたことがはっきりしてしまうからだめか。

ごろねこの本棚【35】(6)

  • ごろねこ
  • 2023/12/14 (Thu) 20:01:46
『鮫肌男と桃尻女』(監督・石井克人、出演・浅野忠信)
東北新社・1999年2月公開・2000年DVD発売

映画は、シンプルな原作に様々な脚色がなされているが、とくに登場人物たちが原作以上に奇人変人だらけになっている。また、石井克人監督はクエンティン・タランティーノ監督のファンらしく、組員たちが本編とは無関係のおしゃべりをしているところなど、いかにもタランティーノっぽい演出が窺われる。
叔父のホテルに勤めている桃尻トシコは、郵便局で強盗事件に遭遇する。その二年後から物語は始まる。
偏執狂的にトシコを束縛する叔父から逃げようと、トシコはホテルを車で脱出する。その途中の山道で、鮫肌を追っていた組織の車に体当たりして偶然に鮫肌を助ける。鮫肌は組織の金一億円を横領して逃げていたのだが、トシコも巻き込まれて一緒に逃げるはめになる。鮫肌役は浅野忠信、トシコ役は小日向しえ。
二人を追う組織の田抜役は岸辺一徳。原作よりはクールだが、ホーロー看板を集める趣味を持つ。河豚田(ふぐた)という男は出ないが、「ふくだ」という凶暴な男に鶴見辰吾。またその姉らしき女が「ふくだみつこ」といい真行寺君枝が演じているが、これが原作の「蜜子」に相当する。原作にはいないが鮫肌の先輩の沢田役に寺島進。他にも、組員は津田寛治、堀部圭亮、田中要次など、知られた役者が多い。また、トシコの変態的な叔父役は島田洋八。トシコが駆け落ちしたと誤解した叔父から相手の男を始末するように依頼された殺し屋・山田に我修院達也(旧名・若人あきら)。山田は原作にはないキャラだが、奇人変人だらけの登場人物の中でも際立った奇人変人ぶりであり、最も印象に残る人物になっている。
逃亡するうちに鮫肌とトシコは惹かれ合い、鮫肌は二人で海外へ逃げようと考え、知り合いの男から偽造パスポートを入手する。だが、男は沢田と繋がっており、沢田がトシコを連れ去る。だが、沢田はなぜか途中でトシコを逃がし、代わってトシコを捕まえた山田が叔父の許へと連れて行く。叔父のホテルには組織の連中が滞在しており、トシコが組織に捕まったと思った鮫肌が現れ、捕まってしまう。組員らに痛めつけられる鮫肌を見て、戦ったとき惚れてしまった山田は、鮫肌を救出しようとする。激しい銃撃戦の中、辛うじて生き残った鮫肌、そして田抜とトシコが原作と同じように森の中で三すくみに状態になる。
原作はその後どうなったか曖昧のままラストシーンに続くが、映画ではそこに現れた瀕死の叔父がトシコの男だと思って田抜を射殺する。さらに、二年前の郵便局強盗は沢田が犯人、鮫肌が銃で撃たれる被害者を演じて金を奪ったが、その際、被害者の鮫肌を助けようとしたのがトシコだったと鮫肌たちは気づく。そしてさらに、原作では組織の金を奪った鮫肌を幹部の田抜率いる連中が追うという話だったが、映画ではおそらくこうした銀行強盗などは田抜の指示で行なわれており、得た金は田抜の許へ収めるはずなのに鮫肌が奪ってしまった。だから田抜が執拗に追い、沢田は途中で嫌気がさして組織から抜けてしまったのだろう。
映画は、原作に設定やキャラなどいろいろ追加・変更しており、ラストも異なる。それでも原作を好きな私が楽しめたのは、映画に原作に対するリスペクトがあるからなのかも知れない。

ごろねこの本棚【35】(7)

  • ごろねこ
  • 2023/12/17 (Sun) 20:07:01
『ゴルゴ13(1)(222)』(さいとうたかを、さいとう・プロ作品)
小学館・(1)1970年1月1日号、(222)2024年1月13日号・B6判

先日、『ゴルゴ13』の222巻を買った。上記の日付けは雑誌の号数であり、実際の発売日は号数の1カ月前になる。『ゴルゴ13』はいくつかのシリーズで刊行されているが、私が買っているのはこの「別冊ビッグコミック」版である。1巻からしばらくの間は「ビッグコミック臨時増刊号」の名称で巻数(号数)表記はなかった。このシリーズが本誌掲載から最速(といっても1~3年後)で刊行されるが、雑誌扱いなので買いそびれないように注意が必要だ。この後、さらに1年後にB5判の「ビッグコミック増刊」のシリーズが刊行され、さらに1年後にリイド社の単行本が刊行される。ただ、収録作品は同じではないので、作品によって収録される時間差は変わる。他にテーマ別再編集のコンビニ版「My First BIG」シリーズもある。昔は文庫版やハードカバー版のシリーズも出ていた。
ともあれ、222巻も刊行されている作品は『ゴルゴ13』の他にはない。年数にして50年以上買い続けていることになる。もっとも作者さいとう・たかをは2021年9月に亡くなったので、それまでの「さいとう・たかを/さいとう・プロ作品」の表記が「原作さいとう・たかを/さいとう・プロ作品」に変わっている。さいとう自身が担当していたのは作品の構成と構図であり、絵に関しては主要人物の顔をペン入れしていたと(昔、TV番組「情熱大陸」で)言っていた。ゴルゴの目しか描いていないという噂は嘘である。以前『ごろねこ』で検証したが、年月を経ているわりにゴルゴの顔は意外と変わっていない。さいとう自身が作家として成熟期に入っていたからと思われるが、さすがに2000年代になると、462話「ドナウ・ライン迷路」など『ゴルゴ13』のパロディのような絵のときがあった。代筆だったのかさいとうの体調が悪かったのか、何か理由があったのだろう。現在、ゴルゴの顔だけはさいとうのタッチで描くのが難しいので、膨大な表情のストックの中から、ふさわしいものをトレスして使っているそうだ。
第1巻には、第1話「ビッグ・セイフ作戦」、第4話「色褪せた紋章」、第3話「バラと狼の倒錯」、第7話「ブービートラップ」が収録されている。このように発表順の収録ではないので、それぞれのシリーズで収録話が異なるのである。また、何らかの作品内容の事情によって初出以外の発表を自粛している単行本未収録作が数話ある。2000年に『ゴルゴ学』が刊行された時点では、本誌237話、245話、266話、増刊32話の4話がタイトルも不明で単行本未収録と書いてある。熱心な『ゴルゴ13』ファンなら初出誌を持っているだろうが、私は持っていない。探して読もうという意欲はないが、どういう事情で自粛しているのかは気になるところだ。第222巻には、第611話「逆心のプラントアカデミー」ほか2話が収録。「逆心の…」の発表が21年10月なので、この作品まではさいとうが執筆するか目を通すかはしていたかも知れない。この作以降、さいとうがまったくタッチしていない『ゴルゴ13』になってしまうわけだ。そういえば、さいとうは、『ゴルゴ13』の第1話を描いたあと作品のパターンを考えたところ10ぐらいしかなかったと述べていた。その段階で最終回の話は完全に出来上がっていたそうだ。結局は10のパターンを繰り返し描いているそうだが、いつかさいとうが考えていた最終回を読むことができるのだろうか。

ごろねこの本棚【35】(8)

  • ごろねこ
  • 2023/12/21 (Thu) 20:35:19
『ゴルゴ13』(監督・佐藤純弥、出演・高倉健)
東映・イラン映画提携作品・1973年12月公開・2012年DVD発売

『ゴルゴ13』を東映で映画化する話があったとき、さいとう・たかをは乗り気ではなかったが、元々ゴルゴに高倉健をイメージしていたので、高倉健主演でオール海外ロケならいいと答えたところ、それが通ってしまって映画化されたという。脚本はさいとうがちゃんとシナリオ原稿として書いた(映画には「脚本/さいとう・たかを、K・元美津」とクレジットされている)そうだが、映画になったらまったく違ったものができてびっくりした、と述べている。全編イランでロケをして、高倉以外すべて外国人俳優を使っている(声は高倉以外すべて日本語吹き替え)ので、なかなか脚本通りに撮れなかった面もあると思うが、そもそもさいとうと監督とのゴルゴに対する認識が違っていたのだろう。監督は、世界を股にかけて活躍する一匹狼のスナイパー、ぐらいの認識で見ていたのではないだろうか。
ゴルゴ13の今回のターゲットは国際犯罪組織のボスであるマックス・ボアという男。ボアがイランにいると情報があり、某国秘密警察が逮捕しようとするが、捜査員はことごとく殺され、最後の手段としてゴルゴにボア暗殺を依頼したのだ。ただボアには多くの影武者がいて、部下でさえ素顔を知らないという。また、ボア一味もゴルゴがテヘランに入ったと知り、ゴルゴを追う。ゴルゴは、ボアのアジト情報と、ボアが小鳥の愛好家である情報を得るが、情報屋が一味に殺され、容疑者としてテヘラン市警に追われることになる。また、テヘランでは女性の誘拐事件が多発しており、市警のアマン警部の妻も誘拐される。アマン警部はゴルゴを見つけ、滞在するホテルを急襲するが、ゴルゴは逃亡する。市警はボアの一味が誘拐した女性たちを海外に売り飛ばそうとしていることと、女性たちを別のアジトに移そうとしているという情報もつかむ。その頃、ゴルゴはボアのアジトを探り当て、肩に小鳥を乗せた男を狙撃するが、それは影武者を身代わりにした罠で、ゴルゴは殺し屋たちに捕まってしまう。だが隙をついて、殺し屋を返り討ちにする。
別のアジトへ向かうアマン警部たちを殺そうと、ボア一味は道路に多くの地雷を仕掛けたが、ゴルゴが狙撃して地雷をことごとく爆破する。アジトに着いたゴルゴは朝食をとるボアを狙うが、その席には大勢の影武者もいた。ゴルゴは鳥籠を撃って、籠から出た鳥が懐く男をボアと見て狙撃しようとするが、部下たちに追いつかれ狙撃できなかった。ボアはゴルゴをおびき出そうと、姿を現わさなければ女たち一人ずつ殺すと脅し、秘密警察の連絡員だった女が最初に殺された。そのときアマン警部が現れ、妻を含む人質を救おうと突進して解放に成功するが、彼自身は銃撃を受け息絶える。ゴルゴは逃げ出したボアを自動車で追うが、部下のヘリコプターに攻撃される。何とかヘリコプターを撃墜するものの、自動車は破壊され、ゴルゴは一人砂漠地帯に取り残されてしまう。数日後の夜明け、湖畔の隠れ家のテラスで朝食をとっていたボアは狙撃を受けて死ぬ。対岸には砂漠地帯を歩いて抜けて来たゴルゴの姿があった。ゴルゴは、息絶えたボアに近づく小鳥も狙撃する。
元々が高倉健のイメージから生まれたゴルゴ13なので、とくに初期の頃の原作を見ると、高倉健が演じるのに違和感は少ない。ただ、どうしてもゴルゴ13はこういう表情はしないだろうとかこんな行動はとらないだろうとかいったことが気になる。海外ロケで外国人が吹き替えで喋っているのも、かえってチープな感じがする。いくら原作が面白いといっても、実写映画で表現するには何か一つ映画独自の面白さがなければならないのだろう。余談だが、この映画が公開された頃、ゴルゴ13を演じるのはプロレスラーの坂口征二がいいと言っていた友人がいたことを思い出す。私には判断がつきかねるが。

ごろねこの本棚【35】(9)

  • ごろねこ
  • 2023/12/26 (Tue) 20:36:11
『ゴルゴ13/九竜の首』(監督・野田幸男、出演・千葉真一)
東映京都・嘉倫電影合作・1977年9月公開・2017年DVD発売

これも一部を除いてほとんど香港ロケで、日本人俳優以外はすべて日本語吹き替えとなっている。香港公開時は、すべて広東語に吹き替えられたそうだ。千葉真一は熱血漢のイメージが強く、ゴルゴ13は合わないように思えたが、かなり原作のゴルゴに寄せた演技をしている。あるいは、原作の『九竜の餓狼』を中心に、いくつかのエピソードを組み込んで作ったストーリーなので、原作で読んだゴルゴの姿が重なるのかも知れない。B級アクション映画としては、高倉健版よりは面白かった。前作は高倉健の趣を見るだけの映画だったが、こちらはアクション映画として楽しめるのだ。元々「劇画」がB級アクションと相性がよかったことを思い出させてくれる。
マイアミにいる麻薬シンジケートのボス、ロッキー・ブラウンは、ゴルゴ13にシンジケート香港支部長の周雷鋒の暗殺を依頼する。周が麻薬を横流ししていることを知って、香港に殺し屋を送り込んだがすでに3人の殺し屋が返り討ちに遭っていた。一方、3件の殺人が同じ手口であり、麻薬密売ルートの頂点にいる周と関係があると考えた香港警察の主任刑事スミニ-は、表向きは実業家の周の身辺を捜査する。だが、潜入捜査していた部下の女刑事が殺される。
香港にやってきたゴルゴは、プール開きの祝典で主賓の周を狙撃しようとするが、何者かに先に周を射殺されてしまう。ブラウンの依頼に間違いがないことを確かめたゴルゴは、香港のシンジケートには真のボスがいて周を操っていたが、周が警察に目をつけられたと知って始末したと知る。ゴルゴの新たなターゲットは、真のボス、東欧ポーラニア国の香港領事ポランスキーだった。身の危険を感じたポランスキーはFBIにシンジケート情報と交換にアメリカへの亡命を求めていた。ゴルゴはまた、周殺しの犯人として警察に逮捕される。スミニ―には以前警護していた要人をゴルゴに暗殺されたという因縁があった。証拠不十分で釈放されたゴルゴだが、ポランスキーの雇う暗殺集団に襲われ、倒しはするものの負傷する。ポランスキーはFBIの迎えが来るのを、要塞のような島で待っていた。彼の正体を知ったスミニ―はポランスキーと彼を狙うゴルゴを捕まえようと、部下たちと共に島を襲撃し包囲網を敷く。だが、スミニ―たちの目を逃れ、ポランスキーはヘリコプターで島を脱出してしまう。が、そのとき、ゴルゴ13の撃った銃声が響き、眉間を撃たれたポランスキーが海へ落下する。
刑事スミニ―役は香港のスター、嘉倫(ステファン・リュン)。どれほど人気スターだったかは知らないが、共同製作の嘉倫電影の社長らしく、出番が多く、展開上かなりスミニ―に花を持たせている。そこがちょっと気になった。

ごろねこの本棚【35】(10)

  • ごろねこ
  • 2024/01/08 (Mon) 19:48:24
『スカルマン』(石森章太郎/石ノ森章太郎)
〔画像・上段左から〕講談社「週刊少年マガジン」1970年第3号掲載扉・B5判/メディコム・トイ・1997年刊・B5判/メディアファクトリー(SHOTARO WORLD)・1999年4月1日刊・A5判
〔画像・下段左から〕大都社・1977年5月10日刊・B6判/講談社・1997年8月22日刊・新書判(P-KC)/講談社・1970年7月10日刊・新書判(KC)/角川書店(石ノ森章太郎萬画大全集)・2006年2月22日刊・B6判

『スカルマン』については前にも書いたことがあったが、もう一度まとめておこう。1967年から、石森章太郎は「少年マガジン」に連載作品とは別に長編の読切まんがを年に1作ほど描いていた。私は、67年に2週にわたって発表した『そして…だれもいなくなった』がいかにも実験作品好きな石森らしくて好きだが、キャラクターとしては70年の『スカルマン』が圧倒的に印象に残り、1回の読切で終えるには惜しいキャラクターに思えた。それは、石森自身も思ったらしい。『スカルマン』発表後、半年から1年ほど経って、石森のもとに「仮面をつけたヒーローもの」というTVの話があり、『スカルマン』を思い出して「ドクロの仮面をつけたヒーロー」を提案したそうだ。だが、食事の時間帯の番組にドクロは困るということで、仮面が似ている昆虫(バッタ)にして『仮面ライダー』が誕生したとのこと。『黄金バット』もドクロの顔で食事の時間帯の番組だったが、アニメだからよかったのだろうか。『黄金バット』に比べたら『スカルマン』はまったくドクロには見えないと思うが。『仮面ライダー』も初めは「気持ちが悪い」といわれたという。『スカルマン』は「怪奇ロマネスク劇画」と銘打たれていて、TVもホラーを意識した企画だったらしい。それを継承した『仮面ライダー』も初めは暗い内容だったが、人気が上がるにつれて明るくなっていったそうである。
100ページの読切まんがであるにも関わらず、『スカルマン』を表題とした単行本が6種も刊行されているのは、やはり『仮面ライダー』の原点となった作品だからだろうか。
女優殺害、代議士秘書の交通事故、貨物列車転覆、電子工業研究所の爆破火災、一見何の繋がりもない事件事故のようだが、これらはスカルマンと名乗る仮面の男と、彼の連れる変身人間ガロという怪物によって起こされていた。それを見破るのは、15年前から一人の危険人物を追いかけていた興信所所長・立木。当時3歳だった子供は今や18歳となったが、2,3年前からスカルマンと名乗って殺人を繰り返していたのだ。あるとき、立木の許を訪れた神楽達男という男が、新たな所員となる。達男はヤクザ神楽組の若親分だった。だが、じつは達男は15年前に神楽家に引き取られた養子で、彼こそがスカルマンだと、立木は知る。達男もまた両親を殺した犯人を探して、立木に近づいたのだ。武装隊を連れて達男を包囲する立木だが、達男はガロに迎え撃たせ、催眠能力で立木の黒幕が財界の大物「千里虎月」だと知る。立木を殺し、虎月の屋敷へと向かう達男。今まで黒幕の正体を知るために黒幕に繋がる人物は誰でも見境なく殺して来たのだ。ようやく今、達男は虎月とその孫娘・麻耶と対面した。だが、虎月が達男の祖父で、麻耶は妹であると知り、達男は動揺する。達男の両親はミュータントともいうべき天才的頭脳を持ち、人類を滅ぼしかねない研究や実験をしていたことに虎月は恐怖を感じ、二人を殺したという。だが、達男は両親が作ったガロに連れ去られてしまい、虎月はその行方を立木に追わせていたのである。虎月と麻耶を追って達男とガロが部屋に入ると炎が噴き出し、虎月が「死のう、みんなで…。わしらは生まれて来る時代を間違えたのじゃ」という言葉と共に四人は業火に包まれた。

ごろねこの本棚【35】(11)

  • ごろねこ
  • 2024/01/09 (Tue) 19:43:03
『スカルマン THE SKULL MAN(1)(2)』(島本和彦、原作・石ノ森章太郎)
メディアファクトリー・(1)1998年11月1日刊(2)1999年1月1日刊・B6判

1998年4月に創刊した隔週刊誌「コミックアルファ」は、予定では石ノ森章太郎が描く『サイボーグ009』の「完結編」と、石ノ森原作で島本和彦が描く『スカルマン』の続編が同時連載となるはずだったが、石ノ森章太郎が98年1月に逝去したため、『スカルマン』だけの連載となった。前年に島本は、石ノ森がスカルマンを島本に「やる」と言ったと聞いて二つ返事で執筆を引き受け、前作以降のストーリーのプロットを聞き、その素晴らしさに自分に描けるのかと自信がなくなったと述べている。また一説には、石ノ森から構想を聞き、「きっちり原作書くから」と言われて安心し、描くことを願い出たものの、石ノ森から送られて来たのは簡単なメモが三枚だけで、これでどうやって描くのかと島本が泣いたともいわれている。実際、この続編にどの程度石ノ森の構想が入っているのかはわからないが、オリジナルのラストで炎に包まれた四人はガロの力で助かる。スカルマンは神楽達男ではなく、本名の千里竜生に戻っている。前は竜生(たつお)を一般的な達男に変えていたが、そこは「りゅうせい」と名乗っている。
さて、オリジナルの『スカルマン』を原点として『仮面ライダー』が生まれ、スカルマンは仮面ライダーに、人造人間ガロはショッカーの怪人たちに生まれ変わり、敵は悪の秘密組織ショッカーだった。この続編では、悪のヒーローだったスカルマンは、悪の秘密結社と戦うヒーローに変わった。その組織のボスは、両親の助手だったラスプーチンという男で、竜生と同じ能力を持ち、改造人間を作って世界征服を目論んでいる。この続編『スカルマン』は、『仮面ライダー』のパラレルワールドにもなっており、『仮面ライダー』がオーバーラップしている。たとえばラスプーチンによって改造人間バッタ男にされた飛岡剛という刑事は、倒れたところを竜生に助けられ仮面ライダーに変身できるよう強化改造される。ラスプーチンを倒すのはスカルマンではなく、この仮面ライダーである。また、神楽組の組員の綾瀬五郎という男は竜生の友人だが、ライバルでもあり、自ら改造手術を受けてサソリ男となる。『仮面ライダー』でも本郷猛の親友であった早瀬五郎がサソリ男となる。
このように続編『スカルマン』は、ある意味『仮面ライダー』の話を内包してショッカーならぬラスプーチンを倒すのだが、じつはラスプーチンを操る黒幕がいて、それは生きていた竜生の両親だったのだ。その後の戦いを予感させながら、物語は終わる。(全7巻)
さて、2007年からTVアニメで『スカルマン』(全13話)が放映され、そのまんが版をMEIMUが描いて配信された。私はアニメもまんがも見ていないが、これまでの『スカルマン』とは舞台も登場人物も異なり、まったくの別物となっている。

ごろねこの本棚【35】(12)

  • ごろねこ
  • 2024/01/10 (Wed) 20:02:23
『スカルマン THE SKULL MAN 闇の序章』(監督・富士川祐輔、出演・鈴木亜美)
フジテレビ・2007年4月21日放送・2007年9月DVD発売

2007年4月28日からTVアニメ『スカルマン』全13話が放送された。舞台は、第二次世界大戦後の現実とは違う歴史を辿った昭和40年代の日本。南北に分断された日本の、かつては小さな山村にすぎなかった地域に、国家的大企業である大伴コンツェルンが進出し、大規模に開発して「影の首都」と呼ばれるほどの企業都市・大伴市が生まれる。市は治外法権となり、市民に行動制限を課していた。そしてグループに属する大伴薬品生化学研究所は獣人(GRО)を作り出すガ號計画を行なっていた。市内では、人々が不慮の死を遂げる事件が多発していたが、実は彼らはガ號(GRО)であり、事件現場ではドクロの仮面を被った「骸骨男」が目撃されていた。
といったような設定から始まるが、骸骨男(スカルマン)の偽者が登場したり、本物が死んで二代目に受け継がれたり、獣人(GRО)の他にサイボーグ兵士が登場したりする。また骸骨のマスクは、GRОの最終形態である新人類の超能力を制御するためのものであることもわかる。全13話のわりに話が複雑なように思えるが、私は見ていないのでわからない。MEIMUのコミカライズ版は全2巻。
さて、このアニメ版の放送が始まる前の週(2007年4月21日)に、序章として実写特撮ドラマが放送された。実写ということだったので、この序章だけリアルタイムで見た。当時、設定の説明もなく話はよくわからなかったが、スカルマンがかなりスタイリッシュになっていたことは覚えている。それもそのはず、アニメのプロモーション用に作ったスーツが好評だったため、この実写版が企画されたそうだ。急遽製作が決まったせいか、30分枠1回限りではロケハンや大道具の製作をできなかったせいか、あるいは架空の世界観を出すためか、この作品の背景はすべてCGで表現している。撮影は全編グリーンバックだけのスタジオで行なわれたという。ストーリーは、謎の男スカルマンが一人のガ號(獣人)を倒すエピソードで、出演は鈴木亜美と細川茂樹。
大伴製薬の生化学研究所に勤める高明寺倫子は、研究員・小角弘志との結婚を控えて幸せなはずだったが、ドクロの仮面をつけた怪人に襲われる悪夢に悩まされていた。そんなとき、弘志から、二人の幸せのためにある計画への協力を頼まれる。それは金庫から書類を盗み出し、ある組織に渡すことだった。倫子はとまどいながらも「ガ號計画書」という書類を盗み出し、弘志と共に逃げる。だが、二人の行動はばれており、大伴のエージェントたちに追いつめられる。じつは弘志は計画書の他に倫子をも組織に売ろうとしていた。倫子は彼女自身も知らない間に「ガ號」へと改造されていたのである。だが、弘志が降伏しようとしたとき何者かの銃弾に倒れ、倫子のペンダントを引きちぎる。ペンダントは変身する鍵だった。倫子は獣人へと変身し、エージェントたちを全滅させるが、そこに現れたスカルマンによって倒される。倫子は弘志に抱かれた夢を見ながら息絶える。

謹賀新年

  • 2024/01/04 (Thu) 18:20:34
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

最近、「とやま潤」の「絵」が何気にそそられてしまいます。

あと、HP作成時から気になっていた「永樹凡人」の単行本を初めて手に入れることが出来ました。超うれしかったです。シリーズ6を手に入れたのですが・・・他にあるかは不明です。

二人の漫画家さん、ご存じでしょうか???

Re: 謹賀新年

  • ごろねこ
  • 2024/01/04 (Thu) 20:23:35
あけましておめでとうございます。

新しい作家を開拓しているとはすばらしいですね。
私などは今まで読んできた作家もだんだん減らして、読まなくなっています。

「とやま潤」という名は多分貸本で見たことがあるような気がしますが、読んだことはないですし、作品はまったく知りません。
「永樹凡人」はアニメのほうで名前を見かけますが、まんがを描いていたとは知りませんでした。もっとも平川やすしにしてもまんがからアニメに行ったわけですし、そういう作家は多かったのでしょうね。

私も失いそうな気力をふり絞って、せめて買ったまんがぐらい読まなくては(笑)。

今年もよろしくお願いします。

謹賀新年<2024>

  • ごろねこ
  • 2024/01/01 (Mon) 07:49:36
あけましておめでとうございます。
当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。

「ごろねこ通信」は昨年1度も更新できませんでしたが、
近日中に更新したく思っています。
「新刊まんが情報」は月に1度更新しています。
掲示板の「ごろねこの本棚」は、
週に1回ぐらいは更新したく思っていますが、
3月頃からしばらくは更新をお休みします。

たまに覗いていただければ嬉しく思います。
今年もよろしくお願いします。

ごろねこ

Re: 謹賀新年<2024>

  • なかの
  • 2024/01/02 (Tue) 04:29:59
ご無沙汰してます!
って覚えられてないかも、、汗
楽しみに閲覧してますよー
今年もよろしくお願いします。

Re: 謹賀新年<2024>

  • ごろねこ
  • 2024/01/04 (Thu) 09:28:54
なかのさん……、はて?

いやいや、まだそこまでボケてはないです。
どうもお久しぶりです。

サイトはもはや
たまに独り言をつぶやく場と化していますが、
どなたかに読んでいただいていると思って、
何となく続けています。

何となく読んでいただけたら嬉しいです。



ごろねこの本棚【34】(1)

  • ごろねこ
  • 2023/09/25 (Mon) 20:17:43
『去年の雪』(村岡栄一)
少年画報社・2023年9月刊・A5判

新刊なので、「ごろねこ通信」の方に書くべきだが、「ごろねこ通信」をいつ更新できるかわからないので、こちらで紹介しておく。「新刊情報」を更新したとき、この本の刊行予定を知った。「村岡栄一」は永島慎二のアシスタント(内弟子)を経てまんが家になった人で、「CОM」でデビューし、その頃、同人活動の記事などでも時折り名前を見かけていた。何よりも永島慎二の『若者たち』の主役「村岡栄」のモデルになった人物である。まんが家になってからは、麻雀やパチンコを題材にした作品が主らしく、私は読んでいなかったのだが、たとえば、2008年に刊行された永島の『フーテン』の別冊小冊子に載る昔の弟子たちの鼎談などで名前は見ていた。その村岡栄一が、歳を重ね、もう逢えなくなってしまった人たちとの忘れられない交流を描いた作品だという。これはぜひ読みたいと思い、購入した次第である。この作品は、2015年からpiⅹivコミックで発表していたのだが、2021年に作者が病に倒れて執筆を続けられなくなった。そこで、編集者である娘さんがコミティア(同人誌即売会)で頒布していたが、それを今回、1冊にまとめて刊行となったとのこと。
6話から成り、1話は父親の妹である「キヨおばちゃん」にまつわる作者の幼い頃の思い出。2話は作者が中学生のときに家を出て行った父親の話。3話は同人サークルで知り合った岡田史子との思い出。作者が永島慎二のアシスタントから独立した頃の交流を中心に描く。4話は、病身の母が療養所から一時帰宅した日、祖母の家に行った母を追って、中学生の作者は峠道を越えて母に会いに行く。5話は、作者がまんが家として独立したての頃、一晩だけ頼まれて滝田ゆうの仕事を手伝ったときのこと。6話は、永島の内弟子時代、作者と向後つぐおが売れっ子の川崎のぼるの手伝いに行く。そこで知り合ったKと意気投合し、また会って話をしようと約束するが、Kは病気で郷里に帰って死んだと聞く。
さらに、7話で永島慎二を描く「先生」、8話で優しかった弟を描く「おとうと」を予定していたという。また、昔から親しくしていたまんが友だちのことも描くつもりでいたが、病に倒れ、無念の結果になってしまった、と作者は述べている。読者からしても描き続けてほしかったと残念な思いだが、この6話までだけでも読めてよかった。今まで村岡作品を読んでこなかった私が言うのも口幅ったいが、さすが永島慎二の弟子だと褒めたたえて、一人でも多くの人にこの本を薦めたい。6話の終わりに、「あれから50年近い歳月が流れて…、いまでも時々K君の笑顔を思い出すことがある」とある。「50年」という数字には驚くが、私自身も50年前の思いがふと胸に過ぎることがある。世の無常を実感する年齢の人には、この作品がより深く沁みると思う。
「去年の雪」のタイトルは、過去の家族や友人知人との交友を、去年降った雪にたとえ、美しかったがもう消えてしまって二度と見ることはできない、という気持ちをこめたものだろう。あるいは、大江匡房の「道たゆといとひしものを山里にきゆるはをしき去年(こぞ)の雪かな」に、冬には道が途絶えるので厭っていた雪とあるように、「雪」は美しいだけとは限らない。たとえば、父親に対する気持ちのように当時は嫌っていたり、アシスタント時代に先の見えない不安に怯えたりしていても、振り返ってみれば愛しく感じるという思いもタイトルには含まれるのだろう。

ごろねこの本棚【34】(2)

  • ごろねこ
  • 2023/10/01 (Sun) 19:53:16
『黄金バット 大正髑髏奇譚(1)』(山根和俊・神楽坂淳・黄金バット企画・ADK)
秋田書店・2023年8月刊・B6判

これも新刊。「黄金バット」のタイトルを見て、条件反射的に購入してしまった。
黄金バットの姿や敵の名前などは過去作を踏まえているが、ストーリーはもちろん、黄金バットのキャラも過去作とは異なる。昔の設定ではあまりに荒唐無稽な上に古臭いので、新たな設定に変えるのは当然だろうが、何はともあれ、面白くなければしようがない。
大正三年の帝都。ある夜、陸軍の笹倉士郎中尉と月城竜史少尉は任務により、ある女を暗殺しようとするが、女は眉間に笹倉の銃弾を三発受けても、月城に首を斬られても死なず、二人は返り討ちに遭ってしまう。だが、笹倉は帝国陸軍の機械仕掛けの体を得て蘇り、月城は死に際に現われた黄金バットを依り代として受け入れることによって蘇る。女は古代の邪神ナゾーの巫女で星船美月といい、ナゾーの配下を引き連れて帝都の治安を乱していた。星船が銀行を襲う現場に急行した笹倉は配下たちを倒すが、月城はまたもや星船の力に倒されてしまう。だが、そこに現われた黄金バットの眷属マリーと名乗る少女に救われ、生き残っていたナゾーの眷属を倒す。その後、月城たちの許には機械仕掛けの刺客が現われるが、それは陸軍の中にも敵がいるからだった。陸軍は、星船を通して邪神ナゾーに与し、軍部の主導権を握って大陸進出を目論む為我井大佐の一派と、月城を通して黄金バットの力を兵器として用い、戦争によって国益を得ようとする門倉大佐の一派に分かれていた。月城たちは襲い来る機械人形たちを撃退したが、ついに最上位のナゾーの眷属が出現する。その名は「暗闇バット」……。
黄金バットとナゾーとの人間をめぐる戦いは古代から続いてきたが、人間を支配しようとするナゾーに対して、黄金バットは人間の自由に任せ、人間同士の争いには関与せず、それで人間が亡びるなら仕方がないという立場である。従って、黄金バットはナゾー一味とは戦うにしても、どちらも腹黒い帝国陸軍の二派とは戦わないことになる。かつて人間を滅亡させたことがあるという黄金バットは、やはり死神なのか、それとも救世主になるのか、今後の展開を期待したい。

ごろねこの本棚【34】(3)

  • ごろねこ
  • 2023/10/04 (Wed) 20:01:36
『小説 黄金バット』(加太こうじ)
筑摩書房・1990年8月30日刊・四六判

『黄金バット』については、【10】(1)~(7)で紹介したのだが、その項はもうとっくに流れて消えている。そこで、新作を紹介したついでに、もう1度『黄金バット』について振り返っておこう。
この本は、まんがではなく小説である。といっても「黄金バット」が活躍する物語を描いた小説ではない。紙芝居の「黄金バット」が誕生した昭和6年、東京の裏街を舞台に、紙芝居屋とその関係者を中心に講釈強盗の事件を絡めて描いた小説である。一応フィクションなのだが、実際の事件・出来事や実在の人物をモデルにしており、『黄金バット』が誕生した経緯はわかる。その部分を抜き出してみよう。
紙芝居は、元は写し絵といって幻燈からきたものだったが、明治時代の中頃に紙人形の芝居に変わったという。それが、子供の教育のためにならない内容が多くなり、警察が禁止したので、困った紙芝居屋が、昭和5年頃に絵物語の紙芝居を始めたところ、大ヒットとなる。その中に『黒バット』という人気作品があった。黒バットは、フランス映画の『ジゴマ』から大泥棒の悪人のヒントを得て、アメリカ映画の『オペラの怪人』をヒントに骸骨マスクに黒マントの服装で、押川春浪の武侠小説『怪人鉄塔』から鉄塔に住み黒マントを翻して空中を飛ぶというキャラを作り出したのだった。紙芝居屋の親方の元で働く男たちが話を考え、絵を描いていた学生アルバイトの永松武雄(健夫)も手伝っていたのだが、子供たちや大人にも、黒バットはいつ捕まるのか、解決編はどうなるのかと期待されるようになった。ところが、黒バットを強くしすぎたため、どうやって終わらせていいかわからず、終わらせても次にこれほど人気が出る作品を作れなければ売り上げに響く。困り果てた親方が、当時知り合った文学青年・鈴木一朗(平太朗)に相談すると、黒バットより強い、神さまのような正義の味方の超人を登場させればいいと簡単に答えた。こうしてできたのが『黒バット・解決編、黄金バット出現』だった。黒バットに勝つのでゴールデンバットにしようとなり、それは庶民に馴染み深い廉価の煙草の名前でもあり、最終的に黄金バットとなった。以後、『黄金バット』のストーリーは鈴木が担当し、永松が絵を担当したという。
なお、永松は昭和7年に工芸学校を卒業して絵描きをやめ、その後を継いで加太こうじが絵を担当するようになった。そして、大人気だった紙芝居の『黄金バット』も昭和9年いっぱいで姿を消したという。

ごろねこの本棚【34】(4)

  • ごろねこ
  • 2023/10/07 (Sat) 19:47:29
『戦中戦後 紙芝居集成』(朝日グラフ別冊)
朝日新聞社・1995年11月刊・A5判変型

『黄金バット』は消えても街頭紙芝居は続いていたが、それとは別に教育に活用される教育紙芝居や、戦争開始と共に戦意高揚を訴える国策宣伝紙芝居などが生まれ、それらは印刷されて普及した。細々と続いていた街頭紙芝居は、子供の疎開や演者の招集によって自然消滅の状態だったらしい。そして、1945(昭和20)年3月の東京大空襲などにより、紙芝居製作所は焼け、戦前の街頭紙芝居(すべて手描き原画であった)もほとんどが消失した。だが、終戦の翌年1月には、加太こうじの新作『黄金バット』がGHQの検閲をパスして、久しぶりに復活することになる。戦後の紙芝居は1949(昭和24)年頃からの4、5年が全盛期だったという。ちなみに私個人の感覚としては、昭和30年代の後半でも、まだ普通に街角や公園などで紙芝居屋の拍子木は鳴っていたし、40年代に入っても紙芝居屋を見かけていたと思う。
さて、主に戦後のものだが、現存する紙芝居を紹介した本が、この『戦中戦後 紙芝居集成』である。もちろん原画の復刻版や演じたビデオなども刊行されたが、あまりに高価なので、私のようにちょっと見てみたいと思う者には、廉価で多数の紙芝居を紹介している本書が役立つ。
『黄金バット』は加太こうじが描いた「ナゾー編」(1回分)「怪タンク出現」(2回分)「怪獣編」(2回分)が掲載されている。1回分の枚数は『小説 黄金バット』に14枚と書いてあったが、本書に載っている作品はほとんど10枚なので、戦前の14枚から、戦後は経費節減で10枚ぐらいになったのかも知れない。ちなみにYОUTUBEに紙芝居の実演映像などがかなり上がっているが、『黄金バット』も素人やプロが演じた映像が何編か上がっている。一つだけ「ナゾー編」に「地底の王国」という本書に載っていない話が続くものがあったが、あとはみな本書の3編のどれかだった。本書に収録の「ナゾー編」とは絵が異なるものもあったが、加太こうじの絵を誰かが真似して描いて複製を作ったのだろう。人気作はこうして複製が作られたと思われる。ただ同じ話でも、演じるセリフや原画の出し入れは多少異なっていた。ともあれ、戦後、『黄金バット』は加太こうじによって街頭紙芝居に復活したのだった。
また、加太こうじは1952(昭和27)年に網島書店から『絵物語 黄金バット』を「蛇王の巻」「巨獣の巻」の全2巻で刊行している。現物を見たことはないが、『別冊太陽 少年マンガの世界Ⅰ』などで書影を見ると、黄金バットは髑髏の顔ではなく、金髪で大仏のような顔をしている。

ごろねこの本棚【34】(5)

  • ごろねこ
  • 2023/10/09 (Mon) 19:29:36
『黄金バット(上・下)』(永松健夫)
少年画報社・1978年1月刊・四六判ハードカバー

永松健夫は、父親に大学を出て紙芝居を描くことを反対されて就職していたが、やはり絵を描くことから離れられず戦中には小学館の美術部に席を置いていたという。そして戦後に復帰し、加太こうじと同じく『黄金バット』を復活させる。ただ『黄金バット』の紙芝居は戦後には3巻(3日分)ほどしか描かなかったそうだ。だが、小学館で同僚だった平木忠夫が仲間と明々社(後の少年画報社)という出版社を起こし、『黄金バット』を単行本として刊行したいと願い、永松はそれに応えて初めてまんが(まんがと絵物語の中間のような形式)として描き、単行本を刊行する。
第1巻「なぞの巻」(昭和22年11月)、第2巻「地底の国」(昭和23年1月)、第3巻「天空の魔城」(同4月)、第4巻「彗星ロケット」(昭和24年3月)の全4巻であるが、話は完結していない。本書は、このうち第3巻分までを上・下2巻で復刻したもの。「表紙および表紙カバーは、初版本をもとにして、丸山元博が模写したものです」とあり、上巻は「なぞの巻」、下巻は「地底の国」の表紙の模写が使われている。また、「地底の国」までは2色刷(「天空の魔城」は1色)で原本の雰囲気を味わえるが、本文も原本をトレスした絵が使われているようだ。
黄金バットの正体はわからないが、敵の「ナゾー」については、加太こうじの戦後の紙芝居では戦前の設定を変えて、ナチスドイツの科学者でベルリン陥落時にスイスへ逃げ、同僚だった日本の篠原博士の持つ破壊光線を奪って、もう一度世界制服を企んでいるとなっている。姿形は、ミミズクのマスクを被り、両手は三本指の鉤爪で、下半身は小型の円盤になっていて移動する。ただし『紙芝居集成』掲載分では下半身がどうなっているかは不明。なぜナチスの科学者がそのような姿になったのかはわからない。一方、永松の本書では、おそらく戦前の紙芝居初期の設定に近いものになっていると思われる。第1巻では怪盗黒バット団の首領であるが、黄金バットの友人(?)蛇王(じゃおう)に倒され、命は助かるものの両足を切断する。三本指になった理由は不明だが、その後、地下国へ行き、みみずくの覆面をして地下国を支配する王者となり、ナゾーと名乗ろう、と決意する。ミミズクは不吉な鳥といわれ、ギリシャ神話では女神デメテルの怒りを買って、アスカラポスがミミズクに変えられてしまうという話があるが、地下=冥界の王になろうということだろうか。ただ、下半身は円盤ではなく、第3巻で魔王星の空魔大王によって新たな足を付けてもらっている。

ごろねこの本棚【34】(6)

  • ごろねこ
  • 2023/10/10 (Tue) 19:33:56
『冒険活劇文庫(創刊号)』(復刻版)
少年画報社・2001年8月刊『少年画報大全』付録)・B5判

永松は(5)の単行本の第2巻を刊行後の1948(昭和23)年8月、明々社が創刊した雑誌『冒険活劇文庫』で絵物語の『黄金バット』の連載を開始する。画像は同誌創刊号の復刻版だが、黄金バットの勇姿が描かれている。『黄金バット』は「アラブの宝冠」の巻で、創刊号から1949(昭和24)年8月号までと12月号の全13回の連載。「黄金バット誕生編」ともいうべき話で、単行本「なぞの巻」のはるか昔の話となる。
大昔、人類に文化の曙が兆し始めた頃、西アジヤのメソポタニヤの沃地に華やかな文明王国を築いていたスメリヤ国があった。そのウル第三王朝のウル・シン王の時代。シン王はよく国を治め、人民を愛し、隣国とも仲良く、人々に尊敬される立派な王であった。だが、彼の異母弟ズルダは、シン王を亡き者にして自分が王位に就こうと野心を持ち、重臣ゴンドと奸計を巡らしていた。シン王が臣下を引き連れて猟に出たとき、どこからともなく一本の矢が王をめがけて飛んで来た。間一髪、その矢を受け止めたのは、供をしていた老臣ヨシヤの子ヨキトであった。暗殺に失敗したズルダは、次は王を毒殺しようと企む。……
第1回にはまだ黄金バットは登場せず、この後の展開も不明である。「アラブの宝冠」は単行本化されておらず、復刻もこの第1回分のみである。だが、『少年画報大全』に12月号のラストに黄金バットの正体が明かされる、とある。残念ながら掲載された写真が小さくて読めず、黄金バットの正体はわからないが、この第1回を読む限り、ヨキトが黄金バットになるのは間違いないだろう。ヨキトがどうして黄金の髑髏の顔になったのかが興味深いところである。

ごろねこの本棚【34】(7)

  • ごろねこ
  • 2023/10/13 (Fri) 20:08:19
『黄金バット/なぞの巻・地底の国』(永松健夫)
桃源社・1975年5月10日刊・B6判
『黄金バット/天空の魔城・彗星ロケット』(永松健夫)
桃源社・1975年5月20日刊・B6判

実は、明々社版の復刻本は、(5)よりこちらのほうが先に刊行された。こちらは桃源社から「冒険活劇大ロマン」として全14巻が刊行されたシリーズで、その第1弾が『黄金バット』の2冊だった。明々社版の全4巻すべてを復刻し、未完の第4巻「彗星ロケット」に続く、『冒険活劇文庫』に1950(昭和25)年1月号から5月号まで連載された「科学魔篇」も復刻している。ただし「科学魔篇」も未完である。
(5)と異なり、原書からそのまま復刻して、しかも1色刷りなので極めて見づらい。「原形尊重の立前から、あえて修整の手を加えなかったため、多少見にくいところがあるかも知れません」と書いてあるが、いや、「立前」はどうでもいいから、見やすくしてほしかったと思うのは私だけだろうか(笑)。これがあまりにも見づらかったため、トレス版の(5)が刊行されたのかも知れない。とはいえ、こちらに第4巻「彗星ロケット」と「科学魔篇」が収録されているのは貴重だ。「科学魔篇」は絵物語形式でB5判に連載されたものをそのままB6判に縮小しているので、これまたあまりにも見づらく、私は読むのに挫折した。
改めて永松健夫の『黄金バット』を読むと、あまりにも奇想天外、荒唐無稽なSF世界に驚かされる。正義のヒーローが悪の組織と戦うといった単純なイメージとはまるで違う。舞台も第2巻から地下国へと移る。大昔に地底へ下りたシマ族が大鉱脈を見つけて王国を造り、シマ女王を中心に平和に暮らしていたが、それらの宝を横取りしようとするモモンガ―族が現われ、平和を脅かしていた。じつはナゾーはモモンガ―族の子孫で、シマの宝庫を狙っていたが、黄金バットたちはシマ女王に加勢する。やがてナゾー一味は地上のナゾー島へと退却するが、そこで魔王星からやって来た空魔人と出会う。空魔人たちはシマの宝庫にあるコーカスという燃料を狙っていて、ナゾーと協力して地下国を水没させ、その隙に宝庫を襲うことに成功する。幸いに奪われた宝物はごく一部であったが、シマ女王がさらわれ、黄金バットたちは空魔人を追いかける。戦いの舞台は地球を飛び出して魔王星へと移り、恐竜やらロボットやら宇宙人やらが入り乱れての激闘が繰り広げられる。黄金バットたちが有利になったと見えたとき、新たな敵、Q王星のQ連隊がナゾーと空魔人へと加勢し、黄金バットの仲間たちが囚われてしまう、といった具合に、異世界を舞台に、果てしなく戦いが続いていく。これはもう「スター・ウォーズ」の世界であって、個人のヒーローの戦いではないと感じてしまう。
永松は、『少年画報』(元の『冒険活劇文庫』)に1952(昭和27)年8月号から翌年8月号まで再び『黄金バット』を連載しているが、これは「科学魔篇」の続きではなく、別の話らしい。他に、1950年『少年痛快文庫』に『超人黄金バット 発端編』の掲載、1955(昭和30)年『太陽少年』に『黄金バット』の連載もしている。だが、永松健夫は1961(昭和36)年に亡くなったため、黄金バット版「スター・ウォーズ」は永遠に未完のままになってしまったのである。

ごろねこの本棚【34】(8)

  • ごろねこ
  • 2023/10/15 (Sun) 19:37:54
『怪盗黄金バット』(手塚治虫)(復刻版)
名著刊行会・1980年6月刊・四六判ハードカバー函入り

「手塚治虫初期漫画館」として復刻された全22冊セットの中の1冊。原書は1947(昭和22)年12月に東光堂から刊行された。
昭和6年に紙芝居の『黄金バット』がヒットしたとき、永松版や加太版以外の『黄金バット』が登場したであろうことは容易に想像がつく。肉筆原画をボール紙に貼り付け厚くして、画面にニスを塗って仕上げる紙芝居を、大勢の紙芝居屋に順番に貸し出すのだから、人気作はなかなか順番が回ってこないだろう。となれば、親方が許可していたかどうかはわからないが、複製を作ったり、あるいは贋作や類似作を作るのは当然だと思う。業者間で何等かの仁義はあったかも知れないが、著作権の意識などはなかっただろう。たとえば、桃源社の復刻版の解説で、都筑道夫が自分の紙芝居体験を述べている。都筑が子供時代に見た紙芝居『黄金バット』の中には、敵役にナゾーが登場せず、孫太郎虫とかグリーン・ゴッドといった様々な怪人たちが次々に登場するものがあったそうだ。また、怪人たちと最後の決戦が終わって黄金の髑髏の仮面を脱ぐと、白髭の老人が現われ、亡き主君の復讐のための戦いが終わって自ら切腹する黄金バットもいたという。おそらく、本家とは異なる黄金バットが多数いたに違いない。
戦後には、紙芝居もそうだが、多くの『黄金バット』の単行本が刊行されている。永松・加太版以外は贋作ということになるが、贋作のせいか、グラフ誌や資料本などに書影は載っていない。「まんだらけ」のオークション履歴で色々な贋作の表紙を見ることができるぐらいだろうか。そうした中で、例外として有名なのは手塚治虫の『怪盗黄金バット』である。手塚の出世作である『新宝島』と同じ1947(昭和22)年の刊行なので、まだ新人の手塚に出版社のほうから『黄金バット』を描いてくれと依頼があったのだろうか。手塚自身がこの作品について言及した文章が見つからなかったのでわからないが、この作品を手塚全集に収録しなかったのは、多少この作品にやましさを抱いていたのかも知れない。ただし内容は本家とはまったく違う。
サラダ公爵の持つ宝石ルビー・ダイヤを、怪盗黄金バットと謎の怪人が狙っていた。ルビー・ダイヤはルビー島の王位の印となる宝石なのだが、昔、悪大臣が王を毒殺したときに、行方不明になっていた。そして王女のココア姫は殺されて幽霊になり、謎の怪人としてダイヤを取り戻そうとしていた。一方、黄金バットは悪大臣の子孫であり、その正体はキリギリス伯爵夫人であった。やはりダイヤを得て王位に就こうと狙っていたのだ。サラダ公爵の父子とココア姫は事情を知って協力し、黄金バットより先にダイヤを手に入れるための冒険が始まる。……黄金バットを悪人として描く作品は他にもあると思うが、正体が女であるとひねったところが、いかにも手塚らしい。

ごろねこの本棚【34】(9)

  • ごろねこ
  • 2023/10/18 (Wed) 19:40:58
『黄金バット』(東映・1966昭和41年12月公開)
東映ビデオ・2005年4月・DVD

『黄金バット』の映像化は意外と早く、1950(昭和25)年12月24日に『黄金バット/摩天楼の怪人』が公開された。尾形博士が発明した、水爆の数千倍の威力を持つウルトロン超原子を、怪人ナゾー率いるQX団が盗もうと狙っており、それに黄金バットが立ち向かうという話らしい。残念ながら、フィルムは現存していない。製作は新映画社、配給は東京映画会社(現・東映)で、監督は志村敏夫。志村は1960年のTVドラマ『怪獣マリンコング』も何話か監督している。ちなみに『怪獣マリンコング』は桜井はじめや笹川ひろしがまんが化している。出演は尾形博士に杉寛、黄金バットに上田龍児で、美空ひばり(公開時13歳)も出演している。『猿飛佐助/忍術千一夜』(47)『エノケンのとび助冒険旅行』(49)などの時代劇を除けば、日本初のスーパーヒーロー映画だと思う。もっともスーパーヒーローそのものが、黄金バット以外にはまだいなかったのかも知れない。『鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)』の第1作が1957年、『月光仮面』の第1作は58年、『遊星王子』は59年の公開だった。
さて、戦後に復活した黄金バットも忘れ去られようとしていた頃、『黄金バット』はまたもや復活し、1966(昭和41)年12月21日に実写映画が公開された。DVDジャケットはカラーになっているが、モノクロ作品である。製作・配給は東映で、監督は佐藤肇、主演は千葉真一。千葉はナゾー一味と戦うヤマトネ博士の役で、黄金バットは佐藤汎彦(声は小林修)である。高見エミリーが黄金バットを呼ぶ少女役で出演しているが、前作の美空ひばりがこの役だったのかも知れない。
宇宙の支配者として人類を滅ぼそうとする怪人ナゾーは、惑星イカロスの軌道を変えて地球に衝突させようと企てる。国連のパール研究所では、水爆の千倍の威力を持つ光線を発射する超破壊光線砲を使って、接近するイカロスを爆破しようとする。その集光レンズの元となる原石を探すヤマトネ博士一行は、突如浮上したアトランティス大陸の神殿の棺に眠る黄金バットを発見する。原石を奪おうとナゾー一味が襲って来たが、少女エミリーが注いだ清らかな水によって黄金バットが復活し、一味を撃退する。黄金バットは博士たちと共に戦うことを約束し、原石を授けて去って行く。だが、完成した超破壊光線砲を狙ってナゾー一味はパール研究所を襲い、東京には要塞ナゾータワーが出現した。
この映画に続いて、1967(昭和42)年4月1日から翌年3月23日まで全52話でTVアニメ『黄金バット』が放映される。どちらも「原作・永松建夫、監修・加太こうじ」とクレジットがあり、永松・加太版の『黄金バット』がオリジナルと認識されていたのだろう。ただし永松版と加太版ではかなり設定が異なっていたので、映画とその設定をある程度継承したTVアニメ版にいたって、ようやく『黄金バット』の設定が定まったといえる。アニメ版の黄金バットの声も、映画と同じ小林修だった。

ごろねこの本棚【34】(10)

  • ごろねこ
  • 2023/10/20 (Fri) 20:06:06
『少年コミックス/黄金バット特集号』(一峰大二)
少年画報社・1967年7月15日刊・B5判

映画公開に合わせて『週刊少年キング』に1966(昭和41)年12月から1年間、次にTVアニメ放送に合わせて『少年画報』に1967(昭和42)年4月から1年間、まんが版『黄金バット』が連載された。じつはその前の1964(昭和39)年から翌年にかけて『まんがサンキュー』に篠原とおるが『黄金バット』を連載しているそうだが、私は見たことがない。時期的にも早すぎるし、「原作・住彦次郎」となっているそうなので、映画・TVアニメとは関係のない贋作の一つだろう。
この『少年コミックス』には一峰大二が作画を担当した『週刊少年キング』版が208ページ収録されている。『少年コミックス』は『少年キング』『少年画報』に連載したまんがの総集編を載せる雑誌で、年四回の刊行だが、あまり続かなかったように思う。他に「マグマ大使特集号」などがあった。
さて、実写映画とTVアニメを経て、これらのまんがにいたってようやく「黄金バット」の設定が定まったようなので、これを決定版として整理しておこう。私はアニメを見ていないので、アニメの設定とは異なるところがあるかも知れない。アニメはYouTubeで公式非公式など上がっているので、興味のある方は比べて確認してほしい。
●黄金バット。永松・加太版は、昔の西洋貴族のような服装に長い赤マントを翻しているのは同じだが、永松版は帽子を被り、襞襟もある。顔は黄金の髑髏だがどちらも眼球はあり、さらに永松版は黄金の髪が生えており、鼻もある。これに対して決定版では、マントとパンツとブーツを身につけているだけ。マントは黒で内側が赤い。顔も髑髏感が強く、眼球はない。歯は上下ともきれいに揃っているが、永松版では上下とも前歯が2本ずつ、加太版では上3本の下2本というように歯欠け状態である。スーパーヒーローとして歯が全部揃っているほうが見映えがいいと思うが、じつは実写映画版では、上の歯が1本黒く、下の歯は1本欠けているように見える。映画用のマスクを作るにも全部歯を揃えたほうが作りやすいと思うが、加太こうじ監修ということもあり、加太版のように歯欠けにするのに何かこだわりがあったのだろうか。また手に持っているのは、加太版では黄金丸というサーベル、永松版は黄金杖という杖、決定版はシルバーバトンという球のついた杖になっている。
●ナゾー。元々の永松版では、怪盗黒バットが黄金バット(戦後版では蛇王)にやられ、ナゾーになる。戦後の加太版では設定を大きく変えて、ナゾーはナチスドイツの科学者だったという。両足を切断したため下半身は小さな円盤に入っていて、それで移動する。永松版では空魔大王に新たな鳥のような足をつけてもらっている。どちらもミミズクのマスクを被り、両手とも獣のような3本指になっている。決定版では、ミミズクのマスクの目が四つになった。それぞれの目から異なる威力の光線を発する。また左手は鋼鉄製の義手になった。
なお、黄金バットとナゾーの関係ははっきりとはわからないのだが、本書に「黄金バットのひみつ50」という記事があり、それを参考に両者の関係を推測してみよう。なお、記事ではナゾーの正体をナチスドイツの科学者エーリッヒ・ナゾーで72歳ぐらいとしながら、本編では1万年も生きている設定にするなど矛盾もある。そこで、黒バットやらナチスドイツやらの設定を除外して考えると、およそ次のように推測できる。
アトランティス大陸のポセイドン王は我がままに暴れ回っていたが、神の怒りに触れ、大陸が大震災で沈むとき黄金のミイラとなって棺の中に閉じ込められてしまった。1万年前に地球征服を企む宇宙人ナゾーが現われたが、ポセイドン王のミイラは神の赦しを得て、神の使い「黄金バット」として蘇り、ナゾーと戦って追い払った。ナゾーは1万年に1回地球に近づく軌道を回る星に逃れ、今再び地球に戻り、地球を征服しようとしている。

ごろねこの本棚【34】(11)

  • ごろねこ
  • 2023/10/23 (Mon) 20:06:11
『黄金バット(1)(2)』(作・加太こうじ、画・一峰大二)
大都社・共に1990年9月20日刊・B6判

一峰大二の『黄金バット』は映画公開に合わせて1966(昭和41)年12月から『週刊少年キング』で連載が始まった。まだTVアニメは放映されていなかったが、TVアニメ版と同じ世界観で描かれている。一峰といえば、古くは『ナショナルキッド』『七色仮面』から『ウルトラマン』シリーズや『電人ザボーガー』『スペクトルマン』など、映像ヒーローものをまんが化する第一人者といえる。そのせいか、私には一峰大二の描く黄金バットが、一番オーソドックスに見える。
『少年コミックス』には、「①黄金バット誕生、②四つ目の怪球、③バキュアム、④怪獣アドド」の4話が収録されていた。この大都社版が刊行されたのは、連載終了から20年以上経ってからになったが、おそらく全話収録されていると思う。「①黄金バット復活の巻、②バキュアムの巻、③ビッグ・アイの巻、④物体X・アドドの巻、⑤青い炎の国の巻、⑥怪獣ベムの巻、⑦怪獣ベムの巻PART2、⑧1万年前の怪獣ウーラの巻」である。ただし、『別冊少年キング』にも『黄金バット』の読切作品が掲載されたそうなので、そちらは未収録かも知れない。なお、「少年コミックス」版の①と②は、大都社版では合わせて①となっている。
ただ、アニメ版と同じ世界観とはいうものの、アニメ版をまんが化したものではなく、ストーリーは別物らしい。アニメ版全52話のサブタイトルで、まんがと同じなのは第20話「青い炎の国」だけである。当然アニメを基にしているのだろうが、そのまままんが化したものかどうかは確認していないのでわからない。サブタイトルを見る限り、まんが版の悪役バキュアムやビッグ・アイやアドドなどが登場する話はないようだ。
ところで、気になるのは黄金バットが戦う相手だが、①のバキュアムは人型宇宙人、②のビッグ・アイはマシーン(ロボット)である。だが、③以降はすべて怪獣になる。連載期間はまさしく怪獣ブームの真っ最中だったからだろう。TVでは『ウルトラマン』『キャプテンウルトラ』『ウルトラセブン』と放映が移行していた時期であり、東宝は『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』、大映は『ガメラ対ギャオス』、おまけに松竹は『宇宙大怪獣ギララ』、日活は『大巨獣ガッパ』を公開した時期であった。
また、アニメとまんがで、ナゾーが「ロ~ンブロ~ゾ」という言葉を呟くようになった。姿を現わしたとき、命令するとき、感情が高まったときなど、あらゆる状況で口癖のように「ロ~ンブロ~ゾ」と発している。たとえば「悪魔くん」が「エロイムエッサイム」と唱えるように、ナゾーの特徴を際立たせるために呪文のようなものを考えたのだろう。言葉としての意味はないと思うが、19世紀のイタリアの精神科医チェザーレ・ロンブローゾの名前を使っている。ロンブローゾは犯罪生物学の創始者であり、「犯罪学の父」と呼ばれているそうだ。「犯罪の父」ではないのでナゾーが唱えるのも変だし、ロンブローゾにとっては迷惑な話だが、語感から決めたのだろう。

ごろねこの本棚【34】(12)

  • ごろねこ
  • 2023/10/24 (Tue) 19:37:11
『黄金バット(上・下)』(智プロ・井上智/原作・永松健夫/監修・加太こうじ)
アップルBOXクリエート・2006年12月15日刊・A5判(函入り)

井上智は『黄金バット』を2回描いている。最初は、中村書店の「ナカムラマンガシリーズ」で1958(昭和33)年から59年にかけて『新編・黄金バット』を全3巻で刊行している。第1巻に「前編」、第2、3巻は「第2部・第3部」と表記されているので、元々は前後編の全2巻の予定だったのかも知れない。黄金バットのコスチュームは永松版と同じだが、永松の原作表記はなく、黄金バットは天王星からやって来た正義の味方となっているそうだ。「新編」とは「新作」の意味だろう。要するに多数の贋作の一つである。ちなみにこの作品は『少年画報』に連載したものを単行本化した、という情報もあるが、『少年画報大全』に何の記載もないので誤りである。
次に1967(昭和42)年4月から始まったTVアニメ放送に合わせて『少年画報』に1年間、まんが版『黄金バット』を連載している。井上智も一峰大二と同じく映像ヒーローもののまんが化作品が多く、『魔神バンダー』『ウルトラマン』『マグマ大使』などを手がけていた。『マグマ大使』にいたっては、手塚に頼まれて「サイクロップスの巻」を代筆したほどである。また、本作がアップルBOXクリエートで(同人誌的に)復刻されるまで単行本化されなかった理由は不明だが、当時、『少年画報』の別冊付録まんがは「少画コミックス」という1冊の別冊にまとめられており、4段が基本になるB5判本誌より、1段少ない3段分のほぼ正方形の判型だった。単行本にするときは、そこを編集しなければならないことが障害になっていたのかも知れない。アップル本では、何の編集もなく、4段と3段のまま収録している。
さて、本作も一峰版と同じくTVアニメ版の世界観で描かれており、次の6話が収録されている。「①(マンモスキラー)、②(溶解怪獣グニラ)、③(地底人ロボット・オゲラ)、④怪獣ゴゴの巻、⑤怪猫黒ネコの巻、⑥(サイボーグ・ミイラ)」。実際にタイトルがついているのは④⑤だけなので、他は登場する敵を書いておく。一峰版がすでに始まっていたからか、「黄金バット誕生」編はないが、①の「マンモスキラー」はTVアニメの第2話である。また⑤「怪猫黒ネコの巻」はTVアニメ14話「原子ブラックギャット」のまんが化である。他は未確認。
なお、本作では初めて黄金バットの弱点が示される。黄金バットは、ミイラとして1万年の眠りについていたところを清らかな水を体に注いでもらい、蘇ったのだった。映画版では少女エミリーが両手で掬った水を注ぐ。一峰版はヤマトネ博士が黄金の水差しに入った命の水を注ぐ。アニメ版は少女マリーが地下水をバケツで汲んで黄金バットの眠る棺の中にぶちまける。アニメ版は風情がないが、とにかくこうして水を得て黄金バットは蘇った。となると、逆に体から水分がなくなると死んでしまうことになる。④「怪獣ゴゴの巻」ではナゾーの罠にかかり、黄金バットは石油に濡れた体に火をつけられ、水分が蒸発して倒れてしまう。ナゾーが「奴は水分がなくなると死んでしまうのだ。うまく弱点をついてやったぞ」と言っている。だが、このときはマリーの流した涙をコウモリが運んで、生き返る。また、⑥ではサイボーグ・ミイラの水分を吸い取る包帯に絡みつかれて弱り、動けなくなったところを乾燥機の中に閉じ込められてしまう。黄金バットがあまりにも強すぎるので、井上がこうした弱点を作ったのだろうか。それともアニメの中にもこの弱点は出てくるのだろうか。興味のある方は確認してみて下さい。といっても、このときもヤマトネ博士が乾燥機の中に水を投げ入れ、黄金バットはすぐに復活してしまうのだが。元々、強くしすぎた黒バットを倒すために登場させた「神さまのような正義の味方の超人」が黄金バットなので、無理に弱点を作る必要はないのだろう。

ごろねこの本棚【34】(33)

  • ごろねこ
  • 2023/11/05 (Sun) 19:45:09
『少年マガジンコミックス ワタリ(3)』(白土三平)
講談社・1967年7月刊・B5判

昔、白土作品は貸本で読むことが多かった。『忍者武芸帳(影丸伝)』はもちろん、『サスケ』は掲載誌「少年」を毎号購入して読むことはできなかったし、『風の石丸』や『狼小僧』は「週刊少年マガジン」の連載だったが、連載時に私はまだ幼くて週刊誌を買って読むなどという習慣はなかった。当時は雑誌掲載後わりとすぐに貸本になり、長い期間貸し出されていたので、作品発表時と私の読んだ時期に時差があるのが普通であった。私が初めて少年週刊誌を買ったのは1963年のことだ。少年週刊誌は1959年に創刊されているが、その頃はまんがを読めたかどうかも覚えていない。ちなみに青年まんが誌は「漫画アクション」(創刊時週刊)が1967年、「ビッグコミック」(創刊時月刊)や「プレイコミック」(現在休刊)は1968年に創刊されているが、私が読み始めるのはその数年後になる。そう考えると、あの頃の新しい文化は様々なジャンルで団塊の世代の成長に添って新しく生み出されていたのではないかと思う。私は団塊の世代の後を追う世代だったので、少しずつ遅れている。
それはともかく、私は『忍者武芸帳(影丸伝)』では「影一族」のメンバー(藏六、くされ、しびれなど)の生い立ちを描く話(9巻から11巻)を面白いと思っていた。白土作品から歴史観や思想を読み取るなどという読み方はできなかったので、白土作品の面白さは印象に残るキャラクターだった。とくに私がお気に入りだったのは『サスケ』『ガロの復活』や幾つかの短編に登場する四貫目という忍者である。白土作品にはよく登場するボサボサ頭に団子鼻という容貌ながら、カブトワリという特殊な手裏剣を使い、明晰な頭脳と卓越した技でどんな危機も回避する。影丸やカムイのようなカリスマ性やオーラはないが、不思議と魅力的なキャラクターだった。
そして、1965年3月10日号の「週刊少年マガジン」から『ワタリ』が新連載となったが、これが、もしかしたら(短編を除けば)私が初めて雑誌で読み続ける白土作品だったかも知れない。この作品は少年忍者ワタリが主人公だが、ワタリが「じい」と呼び、一緒にいる老人が四貫目だった。ワタリが四貫目の孫なのかはわからないが、そんなふうに見えた。それだけで、この作品は面白くなるだろうと期待させたのだった。

ごろねこの本棚【34】(14)

  • ごろねこ
  • 2023/11/06 (Mon) 19:56:02
『白土三平選集16 ワタリ(三)』(白土三平)
秋田書店・1970年3月刊・A5判函入り
『ワタリ(1)(7)』(白土三平)
講談社・1977年7月(1)、11月(7)刊・文庫判

『ワタリ』は講談社からKC、KM(共に全7巻)、KCSP(全5巻)で刊行された。KC(講談社コミックス)で刊行されたとき買えばよかったのだが、そのときなぜか買い逃していた。そこで、後にKM(講談社漫画文庫)で出たときに買ったのだが、老眼になった今、文庫本は読みにくくて困る(笑)。まさか半世紀近く後のことまでは考えていなかった。選集は全16巻のうちの第14巻以降の3巻が『ワタリ』なのだが、全3部のうち第2部までしか収録していない。文庫版でいうと第5巻までである。
『ワタリ』は3部よりなる。
第1部「第三の忍者の巻」は、伊賀の里に流れついた四貫目とワタリが、首領である百地三太夫の下人となるところから始まる。その頃、伊賀は百地党と藤林党の二つの忍者集団に分かれ、それぞれに首領と大頭がいて、下忍たちは死の掟に縛られていた。その掟への不満が高まり下忍たちは掟の秘密と顔も知らない首領の正体を暴こうと赤目党を結成する。一方、独自に伊賀の秘密を探っていたワタリは、二人の首領が陰で結ばれていることを知る。ワタリの友だちだった赤目党のカズラがわが身を犠牲にして百地党の首領を倒すが、死んだはずの首領が再び現われる。そしてワタリたちに対して、伊賀崎六人衆を差し向けるが、赤目党の加勢もあって撃退する。ついにワタリたちは、死の掟の謎と首領の正体を突き止め、暴くのだった。
第2部は「0(ゼロ)の忍者の巻」。伊賀は赤目党が平和に治めるようになったが、真の首領だった者は死を免れ、闇の首領だという0の忍者を招き寄せる。0の忍者は全身を鎧兜で覆い、斧の刃のついた槍を持ち、馬に乗って現われた。不思議な術を使い、目からは殺人光線を発して次々と下忍や里人たちを殺していくが、自分は何度殺されてもすぐに復活した。下忍たちは恐怖のあまり、0の忍者の側につく。ワタリは一度は伊賀を去るが、女友だちのアテカが殺害されたと知って伊賀に戻り、赤目党を裏切るふりをして敵側に接近する。そしてついに0の忍者と対決して、不死身のからくりを暴き、真の首領を追いつめる。だがそのとき、首領の合図によって織田信長六万の軍勢が伊賀に攻め入り、伊賀は壊滅した。
第3部は「ワタリ一族の巻」。ワタリは四貫目と共にワタリ一族のもとへ戻る。ワタリ一族とは、木こりや行商、またぎや芸人などわたり渡世の者たちを守る忍者集団であった。だが、一族のもとに戻った二人は奇怪な事件に巻き込まれ、仲間を殺した汚名を着せられて命を狙われる。信長による伊賀の乱以来、忍者集団が独立して生存するのは難しくなり、一族の首領は徳川の庇護を受け、一族の延命を図ろうとするが、四貫目とワタリはそれに反対したことによって、首領の一派から追われることになったのだ。じつは首領は徳川の服部半蔵にすり替わっており、全国のワタリ一族を、延いては全国の忍びを支配しようとしていた。ワタリの親友の姫丸は首領の跡継ぎであったが、ワタリの身代わりとなって死に、ワタリたちを逃がすのであった。
『ワタリ』は、当時流行っていた忍者同士の対決を描く「忍者もの」の面白さはもちろんあるが、ミステリーの要素が強く、それが魅力だった。当時は知らなかったが、この作品は小山春夫を主とした作画チームが描いているので、ワタリや少女たちがふとしたときに艶っぽく見えるのも特徴だろう。

ごろねこの本棚【34】(15)

  • ごろねこ
  • 2023/11/07 (Tue) 19:27:19
『大忍術映画ワタリ』(監督・船床定男、出演・金子吉延)
東映・1966年7月公開・2004年11月DVD発売

白土三平原作の実写映画は『ワタリ』と『カムイ外伝』の2作しかない。『ワタリ』はまんがの第1部を原作としているが内容は変わっている。下忍たちが支配者を倒すことは同じだが、革命としての要素がなく単なる勧善懲悪になっていることが白土は気に入らなかったらしい。この前に『風の石丸』を原作としたTVアニメ『風のフジ丸』(藤沢薬品提供だったためフジ丸に変更)が作られたとき、東映動画が権利を持っていたため途中から原作・白土のクレジットがなくなったことと合わせて、以後、白土は東映とは絶縁関係になったという。
伊賀の里の百地党と藤林党の権力争いは、下忍たちを競わせて思い通りに操るために作られたもので、首領たちには秘密があった。その秘密に少しでも気づいた者は、出世を餌に五月雨城に潜入することを命じられる。じつは五月雨城は邪魔者を消すための罠で、城内では伊賀崎六人衆という刺客が待ち受けていた。
映画は、原作にある要素、たとえば死の掟や首領の正体、ワタリとカズラの友情、伊賀崎六人衆との戦いなどを、うまく取り入れて作っているとは思う。ただ子供向けの映画なので、ミュージカル風のシーンがあったり、伊賀崎六人衆が衣装はもちろん、顔や手足まで色分けされていたり、術にアニメが使われていたりするのはどんなものだろうか。私はリアルタイムで見たとき(まさしく子供だったのだが)、術にアニメが使われているのはともかく、忍者養成所の子供たちが突然歌い出すシーンや、伊賀崎六人衆の顔が赤かったり青かったり緑だったりするのには、違和感を覚えた。
監督が『隠密剣士』の船床定男だからか、四貫目役は霧の遁兵衛の牧冬吉、楯岡の道順役に風魔小太郎の天津敏が出演している。他の俳優陣も豪華で、百地三太夫役は内田朝雄、藤林長門役は瑳川哲朗、村井国夫が新人として出ており、主要キャストの紅一点としてカズラの姉ツユキ役で本間千代子が出ている。コメディリリーフとしてルーキー新一も出ているが、こんなコメディアンがいたなあと懐かしく思い出した。今回改めて見て驚いたのは、初めに舌を切られて殺される下忍の役として宍戸大全の名があったことだ。一時期、TVの時代劇でスタッフに「特技・宍戸大全」というクレジットが必ずといっていいぐらい入っていたが、日本初のスタントマンといわれ、千葉真一の先輩に当たる人らしい。そして、何といっても音羽の城戸役の大友柳太朗。東映時代劇の大スターだけあって殺陣があまりに凄すぎて、圧倒的な強さを感じさせてくれる。どう考えてもワタリに負けるのはおかしい(笑)。ワタリ役は金子吉延。『河童の三平』や『仮面の忍者赤影』で青影を演じていた子役だ。ちなみに当時私は『悪魔くん』『ジャイアント・ロボ』に出ていた金子光伸とどっちがどっちかわからなかった。

ごろねこの本棚【34】(16)

  • ごろねこ
  • 2023/11/08 (Wed) 19:43:29
『大忍術映画ワタリ/サイボーグ009』パンフレット
東映宣伝部・1966年刊・A4判

『ワタリ』の併映はアニメの『サイボーグ009』だった。パンフレットはちょっと厚い紙で、ページ数は12ページしかない。絵本のような簡単なストーリー紹介がそれぞれ5ページずつと裏表の表紙で12ページである。値段は50円だったか100円だったか忘れたが、小学生の私が思い切って買ったわりには、内容がスカスカでがっかりした。改めて読んでみると、「おじいさんといっしょに旅をしていたワタリ少年」と書いてある。四貫目はワタリの「おじいさん」ということになる。この「おじいさん」は単なる「年寄り」の意味には読み取れない。作品の中では明言されていないが、やはり四貫目とワタリは祖父と孫と解釈するのが自然だし、誰が見てもそう見えるのだろう。
映画ファンにとってパンフレットは鑑賞の記念や思い出になるものだが、私はそれほど買わなかった。余談になるが、私のパンフレット事情について書いてみよう。
大人に映画に連れて行ってもらった時期が終わり、小学校高学年から中学生の頃は、映画は友人と見に行くようになっていた。春、夏、冬の休みに各1回と、その他の時期に2~3回で、およそ1年に5,6回ぐらい見に行ったのではないかと思う。今から思うと回数は少なかった。パンフレットは毎回ではないがわりと買っていた。それが、高校生になると、映画は一人で見に行くことが多くなり、途端に回数が増えた。少なくとも月に2、3回は行っていたので、年に30回ぐらいは行っていたと思う。ロードショーはあまり見ないで、名画座や二番館三番館で見ることが多く、休みの日は三本立てを見ながら映画館でほぼ一日を過ごすなんてこともあった。本数でいえば年に50本以上は見ていたと思う。本数が多くなったのでパンフレットはそれほど買わなくなったが、二番館三番館で買うパンフレットは、ロードショー時のものとは違って、安かったがチャチだった。名画座などでロードショーと同じパンフレットを売っていることもあったと思うので、はっきりとはわからないが、ロードショーからかなり年月が経って二番館三番館で公開するときは、新たに簡易なパンフレットを作っていたのかも知れない。大学時代は、映画はデートぐらいでしか行かなくなり、パンフレットを買っても同伴者にプレゼントしていた。やがて映画紹介の記事を書くようになると、映画はほとんど試写を見ていたので、配給会社のプレスシートをもらうようになった。20数年経ってその仕事が終わっても、パンフレットは買わない習慣になっていたのだが、最近はたまには買うこともある。たとえばアメコミを映画化したシリーズは、その関係性を確認したくて買った。MCUの『アベンジャーズ/エンドゲーム』とかDCFUの『ジャスティス・リーグ』などである。ただ、今年見た『ザ・フラッシュ』は買おうと思ったら、初週なのに売り切れていた。客入りから見て、人気だからというはずもないので、おそらく部数が少なかったのだろう。最近は昔と比べてパンフレットを買っている人が少なくなった気がするが、どうなのだろうか。

ごろねこの本棚【34】(17)

  • ごろねこ
  • 2023/11/12 (Sun) 19:53:03
『セクシーボイス アンド ロボ(1)(2)』(黒田硫黄)
小学館・(1)2002年1月1日、(2)03年4月1日刊・A5判

『スピリッツ増刊IKKI』に2000年の第1号から、ほぼ隔月刊で刊行された03年の第13号まで13話を連載し、同誌が月刊になると連載は中断した。
林二湖(ニコ)は中学3年生。七色の声を操って話したり、雑踏の中で特定の声を聞き分けたりする能力を持ち、「スパイか占い師になりたい」と思っている。その訓練として、実益を兼ねてテレクラのサクラをしながら観察眼を鍛えている。第1話では、ニコの観察眼を見込んだ謎の老人(デコ頑)から誘拐事件への助言を求められ、テレクラの客だった須藤威一郎を巻き込んで事件を解決する。須藤はロボット・オタクの25歳のフリーターで通称はロボ。以降、ニコはコードネーム「セクシーボイス」を名乗り、謎の老人から様々な依頼を受け、ロボを相棒として事件を解決していく。
おそらく2000年頃だったと思うが、まんが評論などで黒田硫黄という名をよく目にするようになった。そこで何冊か黒田作品を読んでみると、主に筆を使って描いており、独特の世界観を持つ作家だった。そのときは、ふ~ん、と感心しながらもそのままで終わったが、その後、2007年にTVドラマ『セクシーボイス アンド ロボ』を見て気に入り、原作を読んでみたのだった。TVドラマは原作をかなり脚色していたことがわかり、TVドラマの魅力を原作では味わえなかったが、まったく別の魅力が原作にはあった。まんがの『セクシーボイス アンド ロボ』はニコが主人公で、ロボはニコに呼び出されては振り回されるおまけのような存在だ。ニコは中学3年生らしからぬ達観したような考えや言動で中学生にとって非日常的な世界を駆け巡る。もちろんまんがに登場したキャラクターやシチュエーションが多くドラマにも使われている。たとえば三日経つと記憶を失う殺し屋「三日坊主」の話、ニコが行きつけの美容室にいると飛び込んでくる強盗犯のバイク、水族館に電流を流して魚を皆殺しにしようとする脅迫者、爆発騒ぎの犯人として警察で取り調べを受けるロボ、などである。だが、テレクラで男を惑わす七色の声が由来の「セクシーボイス」というコードネームは、ドラマでは(タイトル・ナレーション以外)一度も使われていない。ドラマはスパイを志望する女子の冒険の物語ではない。家と学校とコンビニだけが世界のすべてだった少女がふと新しい角を一歩曲がって、少しずつ大人になっていく成長の物語である。残念なのは、ドラマが見事な終わり方で完結しているのに対して、まんがは未完のままになっていることだ。

ごろねこの本棚【34】(18)

  • ごろねこ
  • 2023/11/13 (Mon) 19:59:59
『セクシーボイス アンド ロボ』(出演・松山ケンイチ・大後寿々花)
バップ・2007年4月~6月放映・2007年9月DVD発売

ニコが主役だった原作に対して、TVドラマ版はニコとロボのW主役である。ニコ役の大後寿々花にとっても、ロボ役の松山ケンイチにとっても、初の主演ドラマだった。クレジット筆頭は松山になっている。残念ながら視聴率はよくなかったが、私はこのドラマが好きで、ドラマ終了3カ月後に販売されたDVDボックスを買ってしまった。放映時にはカットされたシーンを含むディレクターズカット版で、未放映だった第7話も収録されている。第7話は立て籠もり事件を題材にしていたが、放映前に暴力団が自分の家族を人質にして立て籠もり、発砲して警察官が犠牲になるという事件が発生したため、放映中止になっていたのである。
原作と大きく違うのは、ニコの家族(父母姉)が登場し、ニコの家庭の様子が描かれていること。ニコも中学2年生に変わっているが、これは大後の実年齢に合わせたのだろう。また、ニコたちに仕事を依頼する謎の老人(デコ頑)が、地蔵堂という骨董屋の主人・真境名(まきな)マキという女性に変わった。ただし裏社会と通じているのは同じ。演じているのは浅丘ルリ子。また主役となった須藤威一郎(ロボ)はフリーターではなく秋葉原に勤める会社員で24歳になった。これはニコが1学年若くなったのに合わせたのだろうか。松山ケンイチのこのときの実年齢は22歳だったので、少し実年齢に近づけたのかも知れない。第6話にはロボの母親(白石加代子)も登場する。
じつは私はドラマ版については、以前『ごろねこ』№34の1冊を使って、内容の分析と紹介を書いたことがある。それほど好きなドラマだった。『セクシーボイス アンド ロボ』は、少女ニコが各話で犯罪者と出会ってその心を知り、人間の悲しさや世の中のつらさを知って成長していく物語である。全体としても、ニコがロボや地蔵堂と出会い、非日常の日々を過ごして成長し、彼らと別れてまた日常へ戻る物語となっている。ふと角を曲がって一緒に歩いていたのに、ふと気づくと最後に話した日のことを思い出している。それが最後になるとは思ってもいなかったのに。ニコとロボの物語はこうして終わる。その完結性がすばらしい。そして、この作品が輝きを放っているのは、ニコの成長と、演じる大後寿々花の女優としての成長がシンクロしているからでもある。ニコがロボとの出会いを通して大人になるように、大後はこのドラマを通して子役から女優へと成長しているのである。私にとっては、そこが一番の見どころだった。

ごろねこの本棚【34】(19)

  • ごろねこ
  • 2023/11/17 (Fri) 19:37:45
『神の左手悪魔の右手(4)』(楳図かずお)           
小学館・1988年3月刊・B6判

楳図かずおが『ビッグコミック・スピリッツ』に連続して作品を発表していたとき、名作『わたしは真悟』(1982年~86年)と大作『14歳』(1990年~95年)の間(1986年~88年)に連載した5話からなる中編シリーズ(番外編の短編を除く)が『神の左手悪魔の右手』である。二大長編の間の息抜きの作品と思われるかも知れないが、これがまったく違う。おそらく楳図作品の中で、最もグロテスクで過激なスプラッタ―・ホラーとなっている。1980年に映画『13日の金曜日』が公開された頃に「スプラッタ―映画」という名称が生まれ、80年代には血しぶき飛び交うB級スプラッタ―・ホラーの映画がブームとなり、続々と公開された。それまでにも楳図作品にグロテスクなシーンは少なくないが、これほどのスプラッタ―描写はなかった。スプラッタ―でなければホラーじゃないといった風潮の中で、いやいや世間のスプラッタ―など生ぬるいと、楳図があえて描いてみせた作品なのではないかと、私は思っている。
主人公は、「山の辺想」という小学生の男の子。悪夢を見ることによって現実を予知し、夢によって現実に干渉することができる能力を持つ。ただしその能力は自分で制御できない。悪夢と惨劇の現実が入り乱れる中、最後に現れるのは想の正体である霊的存在(この世のもとと自称する)「ヌーメラウーメラ」であり、右手で邪悪な者を滅ぼし、左手で傷ついた者を癒す。タイトルの所以である。なお、想には「泉」という姉がいて、想の関わる事件に巻き込まれることが多く、時によっては想に代わって事件を追うこともある。
第1話『錆びたハサミ』。ある地下室で想の姉が錆びたハサミを見つける。想は、そのハサミが姉の両目を突き破って出て来たのを夢で見ていた。じつはそのハサミは、三十年前に子供たちを惨殺した殺人鬼が用いていたものだった。第2話『消えた消しゴム』。「人は死ぬと正体を現わす」ことを試そうと同級生たちと想は本当にみどり先生を死なせてしまい、密かに葬る。だが、先生は翌日も教室に現われ、関わった同級生たちは一人一人消えていく。第3話『女王蜘蛛の舌』。父の同僚の高品医師に連れられて想と泉は避暑地へ赴く。だが近くに住む蜘蛛女が高品を夫にしようと狙い、想が守ろうとする。第4話『黒い絵本』。病気で寝たきりの少女モモは、いつも絵本を描いてくれる父親と二人暮らしだ。だが、必ず登場人物が殺される絵本は、殺人鬼の父親が体験を描いたものだった。父親の正体に気づいて怯えるモモは助けを願うが、その願いを想が夢でキャッチする。第5話『影亡者』。ある大女優に憑いていた影亡者という強力で邪悪な背後霊が、泉の級友のみよ子にとり憑いた。みよ子は芸能界にデビューし、人の守護霊を食い尽くす影亡者の力によって、死んだ大女優のように人々を破滅させ出世していく。一方、みよ子の守護霊だった三郎太が追い出されて想の体を乗っ取ることになる。そのままでは想の存在が消えてしまうため、泉は三郎太と共に影亡者を倒そうとする。

ごろねこの本棚【34】(20)

  • ごろねこ
  • 2023/11/18 (Sat) 20:27:49
『神の左手悪魔の右手』(監督・金子修介、出演・渋谷飛鳥)
松竹・2006年7月公開・2006年DVD発売

第4話『黒い絵本』を映画化した作品。原作との一番の違いは、ソウ(映画ではカタカナ表記)ではなく姉のイズミを主人公にしたこと。まんがでは第4話に泉はほとんど登場しない。
まんがは、次々と殺人を繰り返す父親に脅かされる少女モモを、夢でリンクした想が助けるというストレートな展開の物語である。
それが映画では、冒頭の殺人事件で、被害者の少女アユと夢でリンクしたソウが重傷を負い、病院に運ばれる。姉のイズミはソウを助けようと、ソウの話を思い出したり夢などのコンタクトを受けたりして、モモと父親が暮らす田舎町へと向かう。つまり原作にはないイズミの活躍が描かれることになる。そこで、行方不明のアユを探すヨシコと知り合い、行動を共にし、モモの家を訪れる。さらに、ソウが重傷を負ったのはイズミの仕業ではないかと疑う刑事が、追いかけて来る。だが結局、ヨシコも刑事も父親の魔の手にかかってしまう。刑事がまったく役に立っていないが、楳図かずおが映画化に際して「刑事物にしないでくれ」と要望したというので、それを考慮したのだろうか。それなら刑事など出さなくてもいいと思うが、やはり事件が起こったからには警察が出動しないのも変だと考えてのことなのだろう。楳図のもう一つの要望は「心理物にしてくれ」ということらしいが、これはとくに父親役の田口トモロヲの狂気に表われていたと思う。最後に、イズミは父親に対峙することになるが、さすがに殺人鬼が相手では殺されてしまう。そして父親がモモをも殺そうとしたとき、死んだイズミの体を突き破ってソウが登場するのである。この登場の仕方は原作では『錆びたハサミ』に近い形がある。登場するのはヌーメラウーメラではなくソウなのだが、「我が左の手は正しき者を蘇らせる神の左手。我が右の手は悪しき者を滅ぼす悪魔の右手。滅びよ!」と父親を倒す。この口上は原作には一度も出て来ないが、タイトルをわかりやすく説明している。右手で父親を滅ぼすシーンはあるが、左手でイズミを蘇らせるシーンはないので、この口上がないと死んだはずのイズミがなぜ生き返ったのか、わからないだろう。
なお、この映画は初め『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズの那須博之が監督したが、急死したため『デス・ノート』シリーズの金子修介が引き継いだ。映画の冒頭に「映画監督 那須博之に捧ぐ」とあるのはそのためである。

ごろねこの本棚【33】(1)

  • ごろねこ
  • 2022/06/28 (Tue) 21:52:29
『太陽の帝国』(佐藤まさあき)
佐藤プロ・1965年刊・A5判

「日本秘密捜査官R-M1シリーズ」の第8巻。
『太陽の帝国(Empire of the Sun)』といえば、J.G.バラードの小説と、それをスピルバーグが映画化した作品のタイトルだが、そのおよそ20年前に佐藤まさあきがタイトルにしていた。ただし、バラードの太陽の帝国は日本のことだが、佐藤作品ではエジプトのこと。
日本で開催されたツタンカーメン展で、棺の中のミイラに化けた賊が、スカラぺ(甲虫護符)を奪って逃走した。毒ガスを使い、ヘリコプターで逃げたことから、かなり大きな組織の仕業と思われた。なぜスカラぺを盗んだのか理由はわからなかったが、犯人を突き止め奪還せよとの指令がM1に下る。折しもエジプト研究の学者が殺され、別の甲虫護符も盗まれるという事件が発生した。地球破壊党と名乗る組織が、まだ暴かれていないピラミッドの財宝の在り処が、三つの護符に隠されていると知り、三つ目を学者から奪ったのだった。M1は、護符にはツタンカーメン以上の価値がある秘密が隠されており、犯人たちはそれを求めてエジプトに渡るだろうと推理し、自らもエジプトへ向かう。エジプトでは王家の谷辺りにアモン王の行列の幽霊が出没し、それを見た者は変死していた。それが王家の谷に人を近づけないための策略だと見破ったM1だったが、麻酔弾にやられ、ピラミッドの奥底へ投げ込まれてしまう。破壊党は護符に隠された地図を解読し、財宝を発掘していたのだ。だが、財宝があるはずの場所はすでに暴かれた後で、秘密の通路から現れたM1が、その通路から財宝はすでに盗まれたのだという。銃を乱射しながら逃げる破壊党は、衝撃波で崩れる岩の下敷きになってしまう。
日本で最初にツタンカーメン展が開催されたのが65年なので、それが作品のモチーフになったのは間違いないが、佐藤の「あとがき」によると、17歳のときに初めて出版社に持ち込み、没になった作品が『王家の谷』で、そのストーリーをこの作品に組み込んだとのこと。昔考えた没ストーリーが甦ったことに対して、感慨無量だと述べている。なお『王家の谷』は、自伝『劇画の星をめざして』に1ページだけ掲載されている。

ごろねこの本棚【33】(2)

  • ごろねこ
  • 2022/07/11 (Mon) 22:27:27
『ロボット坊ちゃん』(前谷惟光)
寿書房・1963年1月刊・A5判

前谷作品のロボット・シリーズは、『ロボット三等兵』などの戦記ものを除けば、様々なジャンルや物語の主人公をロボットが演じるというシリーズであり、この種の作品では最も成功したシリーズといえる。さて、『ロボット坊ちゃん』と聞くと、漱石の『坊っちゃん』をロボットに演じさせた作品だと思うだろう。『坊っちゃん』は東京から四国松山の中学校の教師として赴任した坊っちゃんの騒動を描いた作品だが、『ロボット坊ちゃん』は田舎から東京の中学へ赴任してきたロボット教師の話なので、一応は漱石版『坊っちゃん』を下敷きにして描き始めたのかも知れない。だが、前谷作品にありがちなハチャメチャな展開になっていく。
ロボット先生は爆弾騒ぎやら酒に酔うやらで1日で中学をクビになり、家庭教師になるがそこも即座にクビ。その頃、中学の生徒たちはなぜかロボット先生のすばらしさに気づいてロボット復活運動を行う。生徒たちがストをするのではないかと恐れた校長は、ロボットをクビにした教頭にロボットを呼び戻すように命じる。だが、それぞれ事件に巻き込まれ、ロボットと教頭が再会したのは刑務所の中だった。二人は共に脱獄しようとし、生徒たちが差し入れた風船ガムをふくらませて宙に舞い上がり、脱獄に成功する。復職したロボットは二宮金次郎像のマネをして事故に遭ったり、太平洋をヨットで横断しようとした生徒の堀江くんを引き止めようとボートで追いかけ、竜巻やら水爆実験に遭遇し、うっかりとアメリカに着いてしまったりする。やっとのことで帰国したロボットは不法出国の罪で監獄へ逆戻り。子供の教育に悪いと学校を追放されたロボットは、今度は山奥の小学校の校長として赴任することになるが……。
とまあ、『坊っちゃん』の要素は「転任してきた教師」という点にしかないので、『ロボット先生』というタイトルのほうがふさわしいだろう。『坊っちゃん』は結局教師を辞めてしまうのだが、この『ロボット坊ちゃん』は最後まで先生を辞めずに生徒を教えている。
なお、この作品はマンガショップで復刻されている。

ごろねこの本棚【33】(3)

  • ごろねこ
  • 2022/07/15 (Fri) 21:55:19
『カッコイイ俺達』(影丸譲也)
東京トップ社・1965年1月刊・A5判

「J・影丸シリーズ」の第11巻にして、「青春ドラマシリーズ」の第1話。「J・影丸シリーズ」にはシリーズ内シリーズがいくつかあって、「青春ドラマシリーズ」もその一つ。代表的な「殺人課シリーズ」もマジメな刑事物だが、「青春ドラマシリーズ」のマジメさときたら、当時の貸本まんがの中で群を抜いていたのではないかと思う。
このシリーズの主人公は城南高校2年5組の「天才・秀才・鈍才」のあだ名を持つ3人組。「天才」こと西郷稔は柔道部主将で、スポーツも勉強も万能の快男児。「秀才」こと大山正は絵画部所属で勉強は誰にも負けないがスポーツは大の苦手。「鈍才」こと南大介は剣道部主将でスポーツ万能だが勉強は大の苦手。そして、同級生の「ミス城南」こと頭脳明晰、容姿端麗で男子学生の憧れの的の本間桂子が、話の途中から仲間に加わっている。
父親が亡くなって母と妹と暮らす西郷は、新聞配達をして家計を助けていたが、ある日、母親が過労で倒れてしまう。何とか母親を入院させたいと願う西郷の思いを知り、大山や南は新聞配達を手伝い、本間は家事を手伝う。そんなある日、西郷の様子がおかしい。皆は何かあったのかと気にするが西郷は何も答えない。その夜、西郷の家に警官が男を連れて訪ねて来る。実は西郷は三十万円が入った封筒を拾い、交番に届けていたのだが、落とし主が見つかって礼を言いに来たのだ。西郷は金を拾ったとき、その金があれば母親を入院させることができると一瞬でも考えた自分を許せず、憂鬱になっていたのだった。お礼を辞退する代わりに男の洋品店でアルバイトさせてもらい、クリスマスの夜は妹にケーキを買って帰ることができた。だがその帰り道、男が鞄を奪うのを目撃し、取り押さえてみると先輩だった。先輩は西郷と同じく貧しい片親家庭で、そのせいで社会の逆風に負けた出来心からの犯行だった。西郷は真っ直ぐな気持ちで男を諭して見逃す。同じ境遇の自分にとっても他人事ではないと思い、温かな家に帰るのだった。
表紙の西郷輝彦の似顔絵が、このシリーズの表紙らしくないと思っていたが、西郷稔は当時人気だった西郷輝彦のイメージをモデルにしたのだろうと、今気づいた。

ごろねこの本棚【33】(4)

  • ごろねこ
  • 2022/07/19 (Tue) 22:09:48
『ガバチョン紳士』(滝田ゆう)
東京漫画出版社・1964年頃刊・A5判

前に、貸本時代の滝田作品には意味がよくわからない語がタイトルに使われていると書いたが、この「ガバチョン」という語も意味がわからない。「ガバチョ」なら、この作品の刊行年と思われる1964年4月からNHKで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』に登場する島の大統領の名が「ドン・ガバチョ」だったので、それに「ン」を付けただけなのかも知れない。「ガバチョ」は後に副詞として「ガバチョと」と使う例が出てくるが、これは「ガバッと」との類似によるのだろう。ただし「ガバッと」は、いきなり起き伏しする様子、大きく開く様子、大量に出入りする様子などに使うが、「ガバチョと」は大量の様子「ガバチョと稼ぐ」「ガバチョと食べる」場合に限るようだ。もっともこの語を採用した辞書はないと思うので、私見である。
さて、この作品の「ガバチョン紳士」は相棒の「ジロチン」と共に気ままに旅をしている男なのだが、最初に中華料理屋で「ガバチョと」料理を注文して無銭飲食をしているので、「大量」の意味もあるのかなとも思う。だが、それで留置所に入り、ほらを吹いてヤクザの大物に間違えられ、釈放されてからもヤクザの一家の客人となり、後にはヤクザ同士の出入りの助太刀を頼まれてしまうという展開になり、「大量」に何かをするわけではない。適当なホラを吹いて気ままに過ごしながら、けっこう大変な目に遭ってしまうという間抜けさ加減を考えるなら、「バカ・チョン」の「バカ」を「ガバ」とひっくり返して「ガバチョン」にしたのかも知れない。「チョン」は差別語として使われなくなった「朝鮮人」の意ではなく、本来の「取るに足らない人」の意である。つまり「ガバチョン〔=バカで間抜け〕」と「紳士〔=礼儀正しく教養のある人〕」は対義語の組み合わせから成るタイトルなのである。おっちょこちょいだが図々しい男が紳士然とした態度で騒ぎを起こしていく面白さを表しているのだろう。
なお、相棒の「ジロチン」と同じ名の『おいらジロチン』という作品もあるが、別のキャラクターである。

ごろねこの本棚【33】(5)

  • ごろねこ
  • 2022/07/25 (Mon) 22:00:28
『あした晴れる』(影丸譲也)
東京トップ社・1965年6月刊・A5判

「J・影丸シリーズ」の第14巻にして、「青春ドラマシリーズ」の第2話。
城南高校2年5組で学級委員の投票が行われ、学級委員長と副委員長は天才(西郷稔)と本間桂子、書記は秀才(大山正)に決まる。これは今まで通りだが、今回は何と風紀委員に鈍才(南大介)が選ばれた。「風紀」と最も縁のない南は途惑って嫌がるが、仲間や家族に励まされる。同じ風紀委員になった秋山信子はやる気満々で、担任の矢野先生に長期欠席している山路陽子のことを訊き、学校の帰りに山路の家を南と訪ねる。じつは山路家は父親が事業に失敗し、ギャンブルにのめり込むうちにノミ屋に借金を負い、陽子は借金のカタにノミ行為を行っているバーで働いていた。そちらに会いに行った南たちは、用心棒とひと悶着起こす。次の休日に南と秋山は陽子に会って事情を聞き、担任の矢野先生に相談する。矢野先生は、陽子がバーを辞めることを第一に考え、バーのマスターに、陽子を別の(健全な)ところで働かせ、借金を返すようにさせると交渉する。まだ陽子は17歳だったので児童福祉法を盾に説得しようとするが、マスターは言うことを聞かず、用心棒たちに襲わせる。矢野先生は柔道部と剣道部の部長であり、拳銃を取り出した用心棒をも倒し、警察を呼ぶ。陽子の父親もノミ行為を手伝ったことで刑務所に入ることになるが、父をかばおうとした陽子の気持ちを知ってか、再起を目指して真面目に刑に服していた。また学校に通うようになった陽子には、明るさが戻っていた。
三人組のうち鈍才を主人公にした話だが、剣道部主将だからといって大暴れするわけでもなく、先生に相談して頼る。矢野先生も児童福祉法を持ち出すなど、とにかく真面目なストーリー。
なお、この作品の製作助手として「大山学」がクレジットされ、巻末には大山学のプロとしての第1作『ある日突然に!』(17ページ)も収録されている。

ごろねこの本棚【33】(6)

  • ごろねこ
  • 2022/08/06 (Sat) 21:57:21
『おいらジロチン』(滝田ゆう)
東京日の丸文庫・1965年頃刊・A5判

ガバチョン紳士の相棒の少年がジロチンだが、この作品の主人公もジロチンである。ただし、容姿もキャラもまったく異なる。ガバチョン紳士と相棒のジロチンは風来坊の二人組だったが、こちらのジロチンは両親と姉妹との5人家族(と猫1匹)。家族皆が「ジロチン」と呼んでいるが、妹が一度「ジロちゃん」と呼んでいるので、「ジロチン」はあだ名だろう。「~チン」はあだ名の語尾によく使われる言葉だが、「~ちゃん」を親しみをこめて呼ぶときに変化したものと思われる。「サチコ→サッチャン→サッチン」など、よくある変化である。となると、「ジロチン」の本名は「ジロウ」だと思われるが、長男なのに、なぜジロウなのかはわからない。
「ハラペコ騒動」は、病気になったジロチンが、医者から1日絶食するように言われる。家族は出前のラーメンを何とかジロチンに見せないようにし、ジロチンは食べ物を求めて家を出るが、なかなか食べ物にはありつけない。我慢できずに別の医者の診察を受けると、3日絶食しろと言われたので、結局、前の医者の診察を信じて1日絶食することにする。「まかしてちょ」は、漬物石が見つからなくて困っていた母親に、ご褒美目当てで漬物石を探すジロチンだが、ようやく探して来たときには、見つかっていてがっかりする。癪なので、持って来た石を漬物石の上に載せると、重みで樽が壊れてしまい、ジロチンは慌てて石を抱えて逃げ出す、などの5話から成る。
時代背景や家族構成は違うが、68年から描かれる『寺島町奇譚』のキヨシっぽさが少し現れているような気がする。

ごろねこの本棚【33】(7)

  • ごろねこ
  • 2022/08/26 (Fri) 21:15:38
『学生魂』(影丸譲也)
東京トップ社・1965年11月刊・A5判

「J・影丸シリーズ」の第17巻にして、「青春ドラマシリーズ」の第3話。今回は、秀才こと大山正のターン。
天才こと西郷稔は貧しい母子家庭、鈍才こと南大介は酒屋の息子だったが、秀才こと大山正はわりと裕福そうな家庭で、父親は大企業の重役クラスに思われる。正は末っ子で二人の姉がおり、次女は制服を着ているので正より1歳上の高校3年生だろうか、お転婆でちょっと太っていて正とはケンカが絶えないらしい。長女は優しい美女で社会人のようだが、もっさりとした川上という男が恋人なのが、皆に不思議がられている。このように、最初に大山の家庭環境が描かれているが、このことは本編には何も関係ない。一応、設定をきちんと用意し紹介しておこうという作者の几帳面さだろう。
さて、登校時に正は2人の子分を連れた番長に因縁をつけられ、殴られた上に金と腕時計を奪い取られる。この番長グループは、街のチンピラにもケンカを吹っかけ叩きのめすほどだった。大山は、西郷たちと共に矢野先生にこの件を報告し、全校のホームルームでこの問題を取り上げて、その結果を学校新聞に発表することを提案する。だが、西郷が議長となったホームルームで被害を名乗り出る生徒はいなかった。皆、番長たちの仕返しを恐れているのだ。そこで新聞部に無記名で被害を届けることにし、被害を受けないために集団登校をするなどの提案を話し合う。また、職員会議では番長が担任教師を殴っていたことも発覚し、校長や教頭は番長グループを退学処分にすることを主張し、更生させたいと主張する矢野先生は分が悪かった。一方、番長たちは街のチンピラの兄貴分のヤクザたちに仕返しされ痛めつけられたが、ホームルームの件を聞き、大山を痛めつけようとする。だが、大山はいつも柔道部主将の西郷と剣道部主将の南が一緒にいるので手を出せず、ヤクザの力を借りることを思い付き、大山たちが下校するところを呼び出す。さすがの西郷たちもヤクザと番長たちが相手では苦戦するが、隙を見て逃げ出した本間桂子が、学校に駆け戻り、矢野先生に助けを求める。西郷たちにヤクザたちがナイフを向けたとき、駆け付けた矢野先生がをヤクザを蹴散らす。そして番長を一喝する。
その結果、矢野先生の説諭により番長たちは泣いて非行を反省し、退学にもならず学校に戻るという、清々しいはずの結末となる。このシリーズを私は「真面目なストーリー」と書いたが、俗悪と言われる貸本劇画と比べると、正しい展開となっている。作者が「もっと秀才の学校新聞の記者としての活躍を描きたかった」と言うように、さらに細部が描き込まれていれば、番長が悪行を反省し、立ち直る展開にもリアリティがあったのかも知れない。いや、リアリティは薄くとも、そうした人間の更生をドラマとして受け止めていただろう。今にして思えば、当時はこれでもドラマが成立していたのである。しかし、今や泣いて反省する非行少年などフィクションにしか思えない。あるいはお笑いコントだろう。真面目さが嘘臭さに思えるのは、時代も人間も変わってしまったからだろうか。そう考えると、この作品が半世紀以上前に描かれたことに、改めて驚かずにはいられない。

ごろねこの本棚【33】(8)

  • ごろねこ
  • 2022/09/25 (Sun) 20:53:09
『750(ナナハン)ライダー(1)(50)』(石井いさみ)
秋田書店・(1)1976年(50)1985年刊・新書判

今朝、新聞で石井いさみの訃報を知った。9月17日に亡くなったとのこと。
石井いさみは、スポーツものでもそうでない作品でも不良じみた少年を主人公とするまんがを描いていたイメージがある。だが、「COM」に連載していた『愛のスケッチ』のような詩にイラストを付けた作品や、たまに発表する短編作品などには詩的でセンチメンタルな作品もあった。むしろそちらに石井いさみの作家としての本質が窺えたように思う。代表作である『750ライダー』でも、主人公・早川光は連載の最初のうちは(自分なりの正義感を持ってはいるものの)、悪徳教師や番長グループ、暴走族などを敵に回して事故に追い込んだり、血なまぐさいケンカをしたりしていた不良少年であった。顔も目つきの鋭い、いかにも劇画タッチの顔をしていた。だが、新書判コミックスの5巻から10巻あたりでは、次第に穏やかで優しい目をした少年まんがの顔に変わっていき、15巻以降はほとんどアクションが描かれることもなくなり、高校やピットイン(カフェ)に集う仲間の友情や恋愛を描く甘酸っぱい青春のドラマへと変貌していった。ドラマでは何度季節が巡っても、光たちはずっと高校2年生のままで、永遠の青春を送っていた。50巻目の最終話は、光たちが10年後の自分たちに送る手紙を入れたタイムカプセルを埋める話だったが、それは『750ライダー』という青春を過ごした作者と読者が、永遠だった青春に別れを告げる儀式のようでもあった。
石井いさみ氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(9)

  • ごろねこ
  • 2022/10/17 (Mon) 21:33:50
『地球・二つの物語』(沼田清)
東京トップ社・1963年刊・A5判

前にも書いたと思うが、沼田作品は絵が魅力的で構図やコマ運びも巧く、いったいどんなストーリーが展開されるのだろうとワクワクさせる導入も素晴らしい。だが、なぜかその素晴らしさは最後まで持続しない。好きな作家の一人なのだが、作品にはいつも残念な気持ちを抱かずにはいられなかった。
小雨降る真夜中の東京。芸大生の一谷健吾は、横断歩道ですれ違った女に呼ばれた気がして言葉をかける。女は健吾がテレパシーを受信する能力を持ち、まだ奴隷化していないと言う。健吾にはその意味がわからなかったが、女に卒業制作のモデルを頼み、翌日に会う約束をする。帰宅した健吾は、誰かに見られているような気配を感じる。窓ガラスを伝う雨や、水道の蛇口から垂れる水が、健吾を奴隷化しようと狙って監視していたのだ。翌日、健吾は街に違和感を覚える。いつもと変わらない街だが、人々は誰もが死んだ人間の目をして、健吾に「水」を飲ませようと襲って来た。何とか彼らを振り払い、助けを求めて友人の家に逃げ込む健吾だが、その友人もまた「水」を飲むように脅す。だが、その時、健吾の体はその場から消えた。
ここまでの展開は、日常が非日常へと変わるSFミステリとして面白い。だが、意外なことに話は時空を超えて大きくなる。
健吾が消えたのは、じつは昨夜の女が健吾をテレポーテーションさせて救ったのだ。女の説明によると、ウォーダ星人という水性分子に変身できる侵略者が、地球人の体内に入り込んで脳を奪い、すでに日本の関東一円の人間は奴隷化されているという。ただ1億人に一人、ウォーダ星人に支配されない特異体質の人間がいて、健吾はその一人だった。また、あと三日もすれば日本全土は支配され、そして世界中を侵略する最後の船団も到着したという。健吾は、女と共に戦う決意をする。
女の名はビーナス。銀河系星団の調査隊員として作られた改造人間で、五千六百年程前に地球のムー大陸を訪れ、急速に進化発展する文明を観察していた。そしてムー大陸は、火山の大噴火によって最期を迎えたが、調査隊の隊長は地球文明の進歩に怖れを感じていたため、地球を見捨てて出発する。ただ、ビーナスと同僚のエウスは命令に背いて地球に残り、溶岩から逃げる人々を他の大陸に転送する。だが、二人は地割れの奥深くへ落ち込んでしまう。
そして、二人が目覚めたのが現在(197X年)の日本。ウォーダ星人の侵略を知り、再び地球を守るために戦う決意をする。健吾もまた、改造人間となって彼らと共にウォーダ星人の中枢機関を破壊しに向かうのだった。
ウォーダ星人の地球侵略と、ムー大陸の最期という、まさしく地球の二つの物語が描かれている。だが、ムー大陸の話は必要ないんじゃないかと思う。五千六百年にわたる壮大な話にしなくても、水となって人間を支配する侵略者と、地球人を助けてくれる銀河連邦の宇宙人の戦いを、悪夢のように体験する男の話としてシンプルにまとめるだけでよかったと思う。

ごろねこの本棚【33】(10)

  • ごろねこ
  • 2022/10/26 (Wed) 16:44:37
『零戦1964』(長谷邦夫)
曙出版・文華書房・1964年9月刊・A5判

「現代忍者シリーズ」の第10話にして最終巻。
このシリーズについての考察は以前書いたことがあるが、ここで簡単に振り返っておこう。全10話のタイトルは次の通りである(末尾の「1964」は除く)。
①『忍者』②『幻術』③『吸血鬼ドラキュラ』④『忍法帖』⑤『猿飛』⑥『霧隠』⑦『影武者』⑧『鬼神』⑨『亡霊』⑩『零戦』
「現代忍者」というシリーズ名からは次の三つが考えられる。A「何らかの理由で時を超えて現代に蘇った忍者」、B「現代に生きている忍者の子孫」、C「現代における忍者のような特殊な能力を持つ人間」である。①『忍者』とその続編②『幻術』は、四百年の冬眠から目覚めた忍者が幻術師の持つ不老不死薬を巡って、ヤクザや戦国時代から蘇った一族と争奪戦を繰り広げるといった話で、Aの忍者が話の中心である。Aの発想を得て①②話を描いたのだろう。だが、シリーズ化することになって、③話以降はほとんどがBの忍者へと変わってしまっている。つまり、現代まで続いている忍者の子孫の一族、またその一族が産業スパイなどをしているといった設定であり、忍者は脇役になっている。これではあえて忍者にする理由は希薄で、まして黒の忍装束で登場する理由もない。③話以降の忍者は単に話に彩りを添える存在になってしまっている。だが一方、③話以降は、吸血鬼、電送人間、奇形人間、宇宙人、未来人といったSFホラー界のモンスターが登場し、Cの印象を作る。たとえば『霧隠』では、電送人間となった男が拳銃で撃たれたとき、体が霧のように分解して消える。それを見た刑事が「まるで忍者だ」とつぶやく。つまり、こうしたモンスターたちが「現代忍者」なのである。
ストーリーが生煮え状態とはいえ、当時ブームだった忍者を現代に出現させ、SFやホラーとミックスさせたこのシリーズは面白く、私は好きだった。
だが、⑩『零戦』は趣が異なる。太平洋戦争時に作られた零戦の秘密基地を発見した男(の息子)が、一兵卒の兵士たちを集めてゼロ兵団と名乗り、復讐のために旧日本軍の将校たちを暗殺していくという話である。ゼロ兵団がなぜか黒装束を着込み、忍者の格好で登場するのだが、AやBやCの「現代忍者」は登場しない。モンスターは登場せず、表紙からも第9話までのおどろおどろしい魅力が消えてしまっている。そう考えると、このシリーズは⑨『亡霊』で終わるべきで、⑩『零戦』は蛇足であったといえよう。

ごろねこの本棚【33】(11)

  • ごろねこ
  • 2022/11/11 (Fri) 22:24:13
『人魚伝説(上・下)』(宮谷一彦)
竹書房・1983年刊・A5判

以前は「ごろねこの本棚」を毎日更新していたのが信じられないほど、今は怠け者になってしまったが、一つ心がけていることがあって、訃報を知ったときはその作家の作品を取り上げている。ただし私が作品を読んだことのない作家は無理だけれど。また、今は情報に疎い生活をしているので、訃報に気づかないこともある。じつは、6月28日に宮谷一彦が亡くなったことは知らなかった。10月下旬に出た「アックス」の「追悼・宮谷一彦」の号で遅ればせながら知ったのだった。宮谷一彦は私の世代ではビッグネームだが、新聞やネットで訃報は見なかったと思う。私が見逃していたのかも知れないが、1980年代以降はほとんど作品を描いていなかったから、一般的には忘れられた作家だったのだろう。
「CОM」が創刊された1967年、2月号で岡田史子が、そして5月号で宮谷一彦が登場した。「CОM」からは数多くのまんが家がデビューしたが、この二人ほどインパクトのあった作家はいないと思う。私はどちらかというと文学かぶれの少年で、詩的趣味や哲学的志向を刺激する岡田史子のほうへ傾いていた。それに対して、絵もストーリーも、思想も表現も、何もかも過剰な宮谷作品にはちょっと近寄りがたさを感じていた。そして、当時真崎・守などもそうだったが、時代の最先端を走っているように見えたのに、気がつくと時代と共に過ぎ去ってしまっていた。魅力であった過剰性は、いつのまにか読むための障壁になってしまっていたのだ。宮谷は70年代にかけて数多くの短編作品を主に青年誌に発表したが、その中にあえて過剰な表現を抑えてストーリーを巧く収めたような作品が散見される(たとえば「プレイコミック」に発表した『逃亡者』など)。もしかしたら本人にとっては不本意な作品だったかも知れないが、私はそうした作品のほうが好きだった。過剰性にこそ宮谷らしさがあると考えれば、自ら自分らしさを否定するわけにはいかなかったのだろうが、できれば過剰と抑制のバランスをとって、80年代以降も多くの作品を描いてほしかったと思う。ここでは、そうした面が少しは窺える『人魚伝説』を挙げておこう。映画化された唯一の宮谷作品であり、書影は映画公開に合わせて再刊行された竹書房版である(ブロンズ社版は「まんがの部屋」に挙げておいた)。ただし、映画は原作とはかなり異なり、夫を殺された女のシンプルな復讐譚になっている。

ごろねこの本棚【33】(12)

  • ごろねこ
  • 2022/12/11 (Sun) 21:25:07
『オットロコン』(さいとう・たかを)
さいとうプロ・1964年刊・A5判

「ゴリラ・アクション劇画コレクション」の第6巻(最終巻)。このシリーズは、さいとう・たかを監督作品として、映画のようにスタッフが記されているが、(第3巻から)キャストとして登場人物ごとに作画担当者も記されている。以前に紹介したように、第2巻『大いなる消失』、第4巻『くず篭に3匹』、第5巻『虎視たんたん』が「パクリ屋お六」を主人公にしたアクションもので、第1巻『古傷に牙』、第3巻『灰色の絶叫』もアクション作品だった。だが、この『オットロコン』はコメディなので、「ゴリラ劇画コレクション」と「アクション」がなくなり、扉には「明朗青春劇画」と記されている。また今までは「パクリ屋お六」などの主人公はさいとう・たかをが作画を担当していたのだが、この作品ではさいとうは脇役しか担当していない。
主人公は3人の少年で、「オッタン」を石川フミヤス、「トロロ」をさいとうゆずる、「コン一」を武本サブローが担当している。この3人の名前(あだ名)の頭2字ずつを組み合わせて、タイトルの『オットロコン』になっている。
彼らの中学では、毎年卒業式の翌日、卒業生の主催により、創立以来60年の伝統を持つ行事が行われる。それは60年に4名しか優勝者がいないという難しい競技を行い、優勝すれば伝統の木槌に名が残ることになるのだ。ただし出場資格者は3名で、抽選で決められるという。オットロコンはその抽選のからくりを盗み見して、3人とも出場資格を得る。競技は、与えられた難題を2時間以内にクリアするというもので、3人は出発する。たとえばトロロは町長がデベソの噂があるので真偽を確かめるべく写真を撮るという難題、オッタンは町外れの一本杉に連れて行かれ、そこから学校までどんな障害があっても曲がらずに、真っ直ぐに戻るといった難題だった。3人とも時間内に戻って来ることができたが、実は本当の問題はそれからで、トロロには町長家の床の間の掛け軸の絵は何だったか、オッタンには途中通り抜けたブタ小屋にいたブタは何匹だったか、といった質問がなされる。結局、3人とも答えられず優勝はなしとなるというストーリー。
シリアスなストーリーの中にもユーモアを持ち込み、コミカルな味わいのあるさいとう作品は珍しくないが、ストーリーそのものがコメディである作品は、わずかしかないと思う。「劇画」とは絵柄であり表現方法であるので、コメディであろうがSFであろうが、ジャンルにはこだわらないはずだが、劇画創成期には劇画とコメディは矛盾すると思われていたのかも知れない。

ごろねこの本棚【33】(13)

  • ごろねこ
  • 2022/12/16 (Fri) 22:11:34
『裂けた旅券(パスポート)(1)』(御厨さと美)
小学館・1981年刊・B6判

今日、御厨さと美の訃報を知った。14日に亡くなられたとのことである。
調べてみると、御厨のデビュー作は1970年の『黒いつるぎ』という作品らしいが、私は読んだことがないと思う。私が初めて読んだ御厨作品は、1972年の第9回ビッグコミック賞佳作一席入選となった『JL73』だった。この賞はプロでも応募でき、御厨もデビュー3年目でこの作品が5作目だそうだ。ちなみにこの時、佳作三席入賞がやまだ紫で、すでに68年に「CОM」でデビューしていた。
日航のジャンボ機73便でハイ・ジャックが起き、乗務員が抵抗してパイロットやエンジニアは犯人と共に死傷し、オートパイロットも故障。残された責任者CAの恋人が、着陸を誘導しようと小型機で駆けつける……、というストーリー。着陸に失敗したかに見えた機体から、続々と乗客が出てくるラストがよかった。私には大賞を獲得してもよい作品に思えたが、ビッグコミック賞はエンターテインメントとして優れているだけでは取れず、そこに何かプラス・アルファ(たとえば人生の悲哀など)が必要だったように思う。それでも、ドラマを作るのに巧みでメカを描くのが巧い御厨は、次々と読み切り作品を発表していった。『ザ・バーミー』『ウニモグ』『クラッシュ!』『ハネダTW118.2』、そして『裂かれた旅券(パスポート)』など、どれも面白かった。『裂かれた旅券』はパリへの新婚旅行で、行方不明になった妻を探す男の話だが、宮谷一彦タッチが入っていると思えた。ともあれ、この作品が後の『裂けた旅券(パスポート)』の(タイトルだけだが)原形になっている。
 御厨さと美氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(14)

  • ごろねこ
  • 2022/12/17 (Sat) 21:37:13
『超人ロック VOL1』(聖悠紀)
作画グループ&東考社・1977年刊・A6判

昨日、聖悠紀の訃報を知った。10月30日に亡くなられたとのこと。
私が聖作品を初めて読んだのは、所属していた同人会「作画グループ」の同人誌「ぐるーぷ」だったと思うが、本棚のどこかに埋もれて見つけられないので、よくわからない。そういえば、作画グループの代表であるばばよしあき(まぜき伸吾)氏は2016年6月に、みなもと太郎氏は昨年8月に、そして今年に聖氏と、「トリオ・ザ・サクガ」と呼ばれていたという三人がみな亡くなられてしまった。
聖悠紀は同人誌時代(1967年)から『超人ロック』を描き、半世紀以上描き続けていた。じつは私は『超人ロック』を読んでいない。何度か読もうと思い、少しは読んだことはあるが、その世界があまりにも果てしない気がして、入って行くだけの気力がなかったのである。画像は、1977年に刊行された第1話(後に『ニンバスと負の世界』と章題が付く)の復刻版。負の世界を作ろうとするオメガ(じつは宇宙海賊のニムバス)という不死のエスパーと戦うロックを描くが、まだ絵が粗く、ストーリーもよくわからない。だが、「『超人ロック』の第二作で彼の恐ろしい程の画力の進歩を目の当たりにし」たと、ばばよしあきが述べるほどの、上達ぶりだったようだ。この第一作は、1994年に『ソード・オブ・ネメシス』という題でリメイクされている。
聖は他にも多くの作品を描き、私も『ペアペアライサンダー』『黄金の戦士』などは読んでいる。ただ、『超人ロック』と比べると、他の作品は片手間に描いたように思えてしまう。『超人ロック』は聖悠紀にとってそれほど大きな存在なのだ。
聖悠紀氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(15)

  • ごろねこ
  • 2023/02/20 (Mon) 22:02:20
『わたしのエル』(松本零士・牧美也子)まんだらけ・2018年刊・A5判ハードカバー
『光速エスパー』(松本零士)小学館クリエイティブ・2013年刊・A5判2巻函入り

今日、松本零士の訃報を知った。2月13日に亡くなったそうである。
私が初めて読んだ松本作品が何だったか覚えていないが、『わたしのエル』だったような気がする。牧美也子の『マキの口笛』は読んでいたが、その牧と合作で松本あきらとして描いていた。主人公の由紀は牧の描く少女そのものだったが、犬のエルが他の動物まんがでは見たことがないほど可愛らしく、それを松本が描いていたのだった。後に単独で『エスの太陽』や『その名はテス』なども描くが、『わたしのエル』は長らく単行本化されなくて、やっと再読できたのは初めて読んでから50年以上も過ぎた2018年になっていた。雰囲気しか覚えていなかったので、こんな話だったのかと意外な思いがした。松本作品は初期には少女まんがが多かったが、『わたしのエル』以前に、すでに『ララミー牧場』や『電光オズマ』などの少年まんがも描いていて、一応知っていた。だが、当時はあまり読んだ記憶がない。『電光オズマ』を読んだのは虫コミックスで刊行されてからだったし、『ララミー牧場』にいたっては今だに読んでいない。松本のSF作品をきちんと読んだのは(短編以外では)『光速エスパー』と『セクサロイド』だった。『光速エスパー』はTVドラマ化の影響が強かったので、どちらかというと「あさのりじ」のほうが好みだったかも知れない。『セクサロイド』はちょうど雑誌の総集編が刊行されたので読んだのだった。その頃の松本のSF作品は、何といっても「絵」だった。私は手塚・横山・石森といった作家のSFが好きだったが、絵のSFらしさは、松本がずば抜けていた。たとえば宇宙船のフォルムにしても、メーターだらけの船内にしても、他のSF作家のSFより100億光年先を行っている感じがした。その後、四畳半シリーズや戦場シリーズなど幅広く得意ジャンルを広げて行くが、代表作はやはりアニメの影響もあり『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙海賊キャプテンハーロック』と『銀河鉄道999』だろうか。私にとって、というか古本まんがファンにとって忘れられない1編は『古本屋古本堂』だろう。そういえば、松本零士は古本まんがコレクターとしても第一人者だった。
 松本零士氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(16)

  • ごろねこ
  • 2023/03/11 (Sat) 21:00:49
『人魚姫』(岡田晟)
東京漫画出版社・1954年刊・B6判ハードカバー

岡田晟の本は前に『ピーターパン』と『火星特急』を紹介した。
私は岡田晟という作家をリアルタイムではまったく知らなかった。つげ義春の『義男の青春』に登場する田山先生のモデルとなった作家だと何で知ったのか覚えていないが、それで存在を知ったのだ。作中では、かなり傲慢だが調子のいい男で、大物ぶって底辺のまんが出版業界を渡り歩いているという感じの男だった。実際に戦前からまんがや絵本などを描き、アニメにも関わり、戦後は紙芝居や貸本まんがの表紙絵を描いていたという。『義男の青春』の田山先生はあぶな絵の模写なども描いているが、岡田晟がそうだとしてもおかしくはないように思われる。だが、実際に岡田晟のまんがを読んでみると、「田山先生」のイメージはまったくない。貸本まんがの表紙絵(つげ義春の若木書房作品『白面夜叉』など)を描く以前は(以後も)、赤本や名作まんがの類をかなり刊行していたようで、いかにも可愛らしい絵で児童向けの正統派の作品を描いている。たとえば、つげ義春が『白面夜叉』でデビューした1953年には15歳であり、そのとき岡田は40歳だった。『義男の青春』を読むと、そのぐらいの年齢差は感じる。作中の主人公・義男が田山先生のことを「センスが古いからあまり人気ないみたい」と言っているが、実際その通りだったのだろう。可愛い絵で原作をうまくまとめて描くことができる、ベテランの職人技なのかも知れない。だが、岡田の『ピーターパン』や『人魚姫』を読んで、名作の世界を知った子供たちも大勢いたに違いない。手塚治虫やつげ義春などのまんが家がいたから日本のまんがが進化・発展したのは事実だろう。ただ、岡田晟ら今では忘れられた大勢のまんが家たちもまた、確かに子供たちの夢を紡いできたのである。

ごろねこの本棚【33】(17)

  • ごろねこ
  • 2023/03/17 (Fri) 20:21:13
『おーい たすけてくれー秋竜山の無人島まんが1000展ー』(全4巻)(秋竜山)
旺文社・1981年刊・文庫判

今朝、秋竜山の訃報を知った。3月6日に亡くなったそうである。
前に、秋竜山作品は、この『おーい たすけてくれ』と『秋竜山のロビンソンクルーソー』を紹介したことがあった。そのときも書いたが、ページまんがを多数描いていながら1コマまんがを秋竜山ほど描いている作家は他にいないのではないか。秋竜山は1978年に「秋竜山孤島漫画1000展」という個展を開き、孤島(無人島)まんが1000点を発表した。そこから236点を選んで『秋竜山のロビンソンクルーソー』を刊行し、その完全版が『おーい たすけてくれ』である。さらに、95年にも「新無人島まんが1000展」を開き、その後、無人島まんが4000点を目指していた。これ以前の76年に『秋竜山の1千枚』という主にサラリーマンをテーマにした1コマまんが1000点も刊行しており、数年前ブログに、「無人島まんが」を含め「監獄まんが」「穴堀まんが」など10のジャンルで1コマまんがを千点ずつ描き、1万点に向けて挑戦中と記してあった。ブログ「秋竜山マンガ館」を見ると、志は半ばだったようだが、途中まででもいいから、ぜひ出版してほしいと願う。
私が秋竜山作品を初めて見たのは、「少年マガジン」に70年に連載した『親バカ天国』か、その頃に発表した読み切り短編だと思う。「少年マガジン」は70年頃から読者層を高くし始め、上村一夫、辰巳ヨシヒロや、ナンセンスまんがでは谷岡ヤスジやはらたいらなどを起用していた。ナンセンスでは谷岡ヤスジ作品が「鼻血ブーッ!」の大流行と共に際立っていたが、私には秋竜山作品の独特で個性的な絵(とくに人物)のほうが衝撃的だった。そういえば、私の家はずっと読売新聞を購読している。私が物心ついた頃には秋好馨の『轟先生』を連載しており、その後、植田まさしの『コボちゃん』に代わるのだが、その間にいくつかの作品が連載され、秋竜山の『あっぱれサン』もあった。代打作の中では一番長く続いたと思う。ただ、朝、新聞を広げて最初に目にする「絵」としては、何かあまりふさわしくないような気もした(笑)。絵もアイデアも、秋竜山の偽者も亜流も追随者もまったく見ない。孤高の存在であった。
秋竜山氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(18)

  • ごろねこ
  • 2023/09/13 (Wed) 20:03:59
『コブラ(1)(18)』(寺沢武一)
集英社・1979、85年刊・新書判

今朝、新聞で寺沢武一の訃報を知った。9月8日に亡くなったそうである。
寺沢は、手塚治虫のアシスタントを経てデビューしたが、手塚の『未来人カオス』を手伝っていたと何かで読んだ記憶がある。その時期に、デビュー作『コブラ』を読み切りで発表し、翌1978年から独立して「週刊少年ジャンプ」に『コブラ』の連載を開始したという。当初、寺沢作品はアメコミの影響が強いといわれていたが、当時のアメコミは絵物語かと思うほど1コマの情報量が多く、寺沢作品の作画や技法にアメコミと共通する要素はない。強いていえば、題材やキャラクターに、日本人が想像するアメコミらしさがあったのかも知れない。ただ、そんなふうに思われるほど、それまでの日本のSFまんがとは異なる斬新さがあったのは間違いない。私などは、露出の多い肉感的な女性キャラに見惚れていただけかも知れないが、こうしたSFエンターテインメントが突如現われたのは嬉しかった。寺沢の特徴として、『コブラ』の頃はエアブラシを多用したカラーリングがあったが、次の『BLACK KNIGHT バット』からはPCを使うようになり、早くから作品にCGを取り入れた作家だった。また、『コブラ』の続編はデジタル・コミックとして発表し、『武 TAKERU』はフルCGまんがと呼ばれた。現在、PCを使って作品を製作する作家は多いのだろうが、寺沢のようにPCの普及・進化に合わせて常に作品を作ってきた作家を他に知らない。1999年発表の『GUN DRAGON Σ(SIGMA)』では、女主人公をインリン(オブ・ジョイトイ)が演じる実写を使い、背景や人物を3DCGで描いて融合させるという新たな試みにも挑戦している。この作品は98年春から製作したそうだが、寺沢は98年に悪性の脳腫瘍が見つかり、その後、3回の手術を受けたという。おそらくはかなり困難な状況下での創作活動だったと思われる。当時、私はそんな寺沢の事情を何も知らずにこの作品を読んだが、面白い試みであり、まんがの一つの形として充分に発展の余地がある方法だと思われた。だが、この試みも、もう1作『GUN DRAGON Ⅱ』を刊行しただけで終わってしまったのが残念だった。2019年にはWEBコミック誌にコブラの新作『COBRA OVER THE RAINBOW』が始まったと何かで知って、寺沢の体調がよくなったのかと思っていたのだが……。
寺沢武一氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(19)

  • ごろねこ
  • 2023/09/17 (Sun) 20:04:09
『東海道中膝栗毛』(土田よしこ)
中央公論社・1997年2月刊・四六判上製

今朝、新聞で土田よしこの訃報を知った。9月15日に亡くなったそうである。
赤塚不二夫のアシスタントをしていた土田が、『ハレンチくん』という作品でデビューしたのは1968年だった。
当時、少年まんがは、大きくストーリーまんがとギャグまんがに分けられていた。これは作品の主とするところが「物語」なのか「笑い」なのか、という分け方ではない。いや、もちろんそういう要素もあるのだが、結局は「絵柄」の違いである。ここでは詳しくは論じないが、藤子不二雄(当時)の『モジャ公』はどんなにストーリー性があってもギャグまんがであった。関谷ひさしの『ストップ!にいちゃん』はどんなに笑えてもストーリーまんがであり、強いていえば「コメディ」であった。ともあれ、少年まんがにおいては、大きく分けてこの二種のまんががあった。だが、当時の少女まんがには、ストーリーまんがしかなかった。土田よしこが登場するまで、コメディはあっても、ギャグまんがはなかったのである。土田よしこが少女まんがに初めてギャグまんがを持ち込んだといってもいい。そういう意味では、少女まんが界において大きな存在だった。
私が最初に土田作品を知ったのは、「りぼん」に連載していた『きみどりみどろあおみどろ』(1971~72年)である。少女誌に(絵柄としての)ギャグまんがが載っていたのは、おそらく新鮮に感じたと思う。その後、『わたしはしじみ』(73~75年)、そして何といっても土田の代表作といえる『つる姫じゃ~!』(73~79年)を読んだ記憶がある。『つる姫じゃ~っ!』は持っていたと思ったが、見つけられなかったので、「マンガ日本の古典」シリーズで十返舎一九の『東海道中膝栗毛』を土田がまんが化した作品を挙げておく。1990年代には土田はもうあまり作品を描いていなかったと思うが、「あとがき」にずいぶん時間がかかったというようなことが書いてある。確かに原作に苦労して取り組んだと思われる節もあるが、可愛い少女の笑いとは無縁だった土田作品には、弥次喜多のおっさんたちが妙に納まりがいいのである。
土田よしこ氏のご冥福をお祈りいたします。

ごろねこの本棚【33】(20)

  • ごろねこ
  • 2023/09/23 (Sat) 20:28:36
『水の中の顔』(横山まさみち)
横山プロ・1966年10月刊・A5判

横山プロの「ファンタジック・ミステリー」の第2巻。二人集のシリーズで、3巻も予定していたが、刊行されなかったようだ。表題作『水の中の顔』は横山まさみちの作品。貸本時代の横山作品は、青春物の『あぁ青春』と「独眼探偵シリーズ」などのアクション物に分けられ、ファンタジーは珍しい。
両親を亡くした太郎は、おばさんの家に引き取られていたが、その狙いは太郎の父親譲りの釣りの腕前で、おばさんは毎日太郎を釣りに行かせ、釣って来た魚を金に換えていた。一方、太郎は毎日危険な山奥の湖に行って、水の中に映る少女の顔を飽かず眺めていた。両親が死んだとき、自分も死のうと思って登った山上湖でその少女の顔を見つけ、死ぬことを忘れたのだった。太郎は少女を愛し、ミナモと名付けたが、あるときミナモの姿が消えた。絶望に打ちひしがれた太郎だったが、三日後、町で少年たちにからまれているミナモに出会い、助けて家に連れ帰った。魚を今までの3倍釣ることを条件に、おばさんはミナモを家にいさせてくれることになったが、太郎の留守中、ミナモをこき使っていた。それをやめさせようとすると、おばさんは交換条件に太郎の釣果を5倍求め、次第に7倍、8倍と引き上げていった。ある日、太郎が帰るとミナモはいなくなっていた。おばさんが叱ったら、出て行ったのだという。太郎が山奥の湖へと駆けつけると、ミナモは水の中に戻っていた。太郎は、ミナモがせっかく自分の許に来てくれたのに辛い思いをさせたことを謝り、今度は自分がミナモの許へ行くと言って、湖の中へと入っていった。すると、湖の水が噴き上がり、洪水となって麓の町や村を襲い、邪悪なものをすべて流し去った。その後、紺碧の水を湛えた湖には、今でも少年と少女の微笑む顔が映っている。
学校にも行かず毎日釣りを強制される少年。意地悪なおばさんは鞭で少女を叱りつける。湖から現われた少女は、湖に身を投げた少女の霊で、自分と同じ境遇の少年に共感したのだろうか。それとも湖の精が少年の悲しみを汲み取って少女となって現われたのだろうか。最後に町や村を洪水で流し去ったのは、少女の怒りなのか、あるいは天罰なのだろうか。わけのわからない点が多いが、「ファンタジック・ミステリー」というよりは、「メルヘン(童話)」であり、いつもの横山の絵柄が、内容にそぐわないように思えた。
もう1作は、『奇蹟売ります』(どやたかし)。他に掌編の『ある人体実験』(田川きよし)も収録。